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キヤノン イーグルス 公式サイト|スタッフレポート

スタッフインタビュー

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スタッフインタビュー 中村コーチ/池澤主務/瓜生スカウト/金城トレーナー/田口トレーナー2012年10月11日

今回は、それぞれコーチ、主務、スカウト、トレーナーを担当されている、中村/池澤/瓜生/金城/田口の各スタッフにインタビューを行いました。


中村 直人(スクラムコーチ)

子を見守る親のような気持ちで、キヤノンイーグルスを応援していただきたい

中村 直人スクラムコーチ

――ラグビーの経歴は

ラグビーは親父が京都府立洛北高校と同志社大学でやっていた影響ですね。弟も同じ学校で、やはりラグビーをやっていたので、完全なラグビー家族です。本格的にラグビーを始めたのは高校からですが、小学校の時にラグビースクールでやったのが初めてのラグビーです。まだ本当に創成期だったので、遊びのような感覚でしたね。因みに植松(宗之:現キヤノンイーグルス)も同じスクールの出身です。

親父の先輩、同僚、後輩が、酒屋をやっている自分の家にしょっちゅう遊びに来ていて、漠然と「俺もラグビーやるのかな」とは子供の頃から思っていました。ところが中学にラグビー部がなかったので柔道をやっていたのですが、これにハマりまして「もう、これや!」と思っていました。この時に習った柔道がその後のラグビーに活かされた、というのはありますね。道場に通って柔道の成績も結構良くて、最後の方は「柔道一直線という感じでした。でも親父がラグビーをやって欲しそうな眼で自分を見ているのはわかっていましたし、親父が今でも言うのですが「俺はお前にラグビーをやれと言ったことはない」と。でも言葉でこそ言わなくても柔道着を隠されたりもしたので、この家に生まれた以上、酒屋を継いでラグビーもやろうと決めました。

――高校に進学して

監督もコーチも親父の後輩で、家に来ていた人ばかり。それまで「おっちゃん、お兄ちゃん」と呼んでいた人たちが急にコーチという戸惑いはありましたが、1年の時から人間関係はスムースにできて、エンジョイできました。

――「昂ぶる」という感覚

高校1年の夏合宿で、2年生の先輩が練習中に亡くなるという事故がありました。僕が先輩の3番を引き継ぎ、チームのみんなで「亡くなった先輩のために」と必死に練習をしました。部活停止中は「ここなら見つからないだろう」と、早朝に河川敷に集まってやっていました。この時みんなが一つになってできた結束力から、持っている力以上のものが試合で出せた、その感覚がずっと残っています。そしてゲーム前の抑えきれない昂ぶり、自然と涙が溢れ出てくる、普段では考えられない感情を経験しました。僕がラグビーを続けている理由は、実はそこにあります。今は月に1回のコーチという状況ですが、それでも試合前に監督や選手と一緒に、その「昂ぶる」という感覚の中にいられることに幸せを感じています。

――誰にも負けない練習量

同志社では2年から試合に出ていましたが、それに相応しいだけの練習はしていました。とにかく監督、コーチがきつい人たちで、スクラムの練習量はどこにも負けない自信がありました。普段の練習では準備運動→スクラム→終了と、とにかくスクラムの練習ばかり。「これだけやったら負けない」と、精神面でもかなり強くなりました。スクラムを組み続けると背中の皮が剥がれて、皮膚がグチュグチュになるのですが、そのまま寝てしまうと、枕に貼りついた皮膚を剥がすことから1日が始まります。まあ、かなり痛いですね。そんなことをしていると自信が湧いてきます。「もう負けられない、ここまでやっているんだ」というところからの自信ですね。

――試合に出たい欲

とにかく試合に出たい欲が強くって、だから練習でめげたり止めたいと思ったことはないですね。試合に出られることから生まれる幸せの要素ってたくさんあるわけですが、僕の中では試合前のあの昂ぶる感情ですね。だから試合に出たい欲の少ない選手は気に食わない。「なんでやねん?」「なんで諦めるの?」と思うわけです。練習で苦しんだ仲間と一緒に戦いに出ていくロッカールームでの緊張感、これは試合に出るものにしか味わえないですよ。その一員に絶対なりたい、ということです。


中村 直人スクラムコーチ

――スクラムの「これ」は自分で見つけろ

スクラムの組み方に理論はたくさんあると思いますが、僕はとにかく練習量を積んで、その中でベストの組み方を見つけ感じるのが一番だと思っています。社会人になってサントリーでお世話になりましたが、2〜3年経った頃に「こうすれば負けない という感覚がわかりました。でもそれを選手に教えても、体のサイズや体型が違えば当たるところも微妙に違うので、なかなか教えられるものではなく、だから自分で見つけて欲しいということです。

――キヤノンのスクラムは?

スクラムは8人で組むので、やはり選手同士で話し合うことが大切です。キヤノンのフォワードが成長している理由の一つはそこにあると思います。以前に比べるとよく話して、自分の意見を出し合う場面が増えました。監督、コーチから言われるからではなく、自分たちから話し合って「ああだこうだ」言う、この「ああだこうだ」がすごく大事です。

――スクラムとは

ロマンですね。あの中で色々なことが起こっています。相手の汗が入ってくるし、噛み付く奴、殴る奴もいる。8人のうち1人でも手を抜けば、8人対7人になってしまいます。学生時代の合宿で、2週間毎日スクラムを組んで、ようやく終わったときは先輩も後輩もなく抱き合って泣きました。ラグビーがうまくなったとは全然思わなかったけど、とにかくやり終えた、家に帰れる、という共通の達成感ですね。そんなこんながあるスクラムだから、ロマンだと思うわけです。

――「ご縁」を大切にする

キヤノンとの関わりは、もちろん永友(洋司監督)との縁です。サントリーの現役を引退した時、ちょうど永友が監督1年目で僕にコーチになるよう声を掛けてくれました。今回もそろそろラグビーとの関わりをなくして、家業に専念しようと思っていたところに声を掛けてもらいました。自分がラグビーと関わらなくなったら「ゴミになるぞ」とエディ(ジョーンズ氏 日本代表監督)さんからも言われていたのですが、こうしていられて本当に有難いですね。

――ではファンへメッセージを

たくさんの可能性を持っているチームです。うまくいったりできなかったりを繰り返すと思いますが、明確な目標があって、そこに向かっていくチームの魅力を存分に味わっていただきたいと思います。言いも悪いも発展途上のチームです。子を見守る親のような気持ちで、キヤノンイーグルスを応援していただければ嬉しいです。よろしくお願いいたします。


池澤 昌一(主務)

チームのみんなが気持ち良く仕事ができる環境作りを

池澤 昌一主務

――キヤノンに入った経緯は

2006年にIBMに入社して2年頑張ったのですが、トップとのレベルの差を感じて、社業に専念するべく引退しました。ある日、IBMのOBがいたクラブチームとキヤノンの合同練習に呼んでもらった時に、キヤノンが強化すると言う話を聞いて、もう一度頑張りたいと言う気持ちになり、2008年8月に移籍することを決めました。当初はプレーヤーとして2009年の4月からキヤノンで再挑戦したのですが、膝の調子が良くならず、その年の12月頃に副務のオファーをもらいました。これまでサポート側に立った事が無かったので、正直言って最初は違和感がありましたが、チームにまだ歴史が無い分、全てのことが新しくできるということに興味を感じて、得ることも多いと思いお受けしました。

――素晴らしいアドバイスに感謝

実際の業務は2010年2月からだったのですが、全てが初めてで、何をどうすれば良いのかわからない状態でした。職場の上司に相談をしたら、チーム全体を見渡して運営に携わることは、一つの会社を運営するのと同じようなことで、これを経験するのは今後の会社生活に必ず役に立つ、という本当にいいアドバイスをいただきました。今でもとても感謝しています。これで気持ちがすっきりして、いいスタートを切ることができました。

――実際にマネジメントの立場になって

当時はまだマネジメントの体制が確立していなかったので、細かいことから色々なことをやっていました。とにかく眼の前のことをやっていた、という感覚でした。2010年はトップイーストで優勝した最初の年でしたが、正直言ってこんなにうまく行っていいのか、という不安がありました。壁にぶち当たって乗り越えて成長するのが普通だと思うのですが、そう言ったことが殆ど無かったので、嬉しさはもちろんありましたが、実際には不安を感じる方が大きかったですね。

――2011年、キヤノンスポーツパークに移転して

これでもう一歩も引けないな、と思いました。会社にこれほどサポートしてもらい、世間にもそれを見せたわけで、明確な結果が求められるようになったということです。もう前進するしかない状態です。会社もそこまで覚悟しているのですから、自分たちも同じ覚悟を持って、日々仕事をしなければいけないと思っています。


池澤 昌一主務

――今、心に決めていることは

会社で運営しているチームなので、会社としてどうすべきか、と考えることを常に念頭に置いています。個人のエゴは排除して、会社としての考えや情報を共有できるようにしています。情報を共有し「見える化」することで、自分の間違えにも気付くことができますし、助けてもらうこともできます。情報を伝達する方法、また見せ方にも気を配っていますね。試合の時には相手チームの方と話をして、色々な情報を頂くようにしています。どのチームもキヤノンより長くトップリーグにいるので、チーム運営の苦労や工夫のノウハウをたくさん持っています。キヤノンでも活用できることを吸収し反映することで、チームや会社に貢献したいと思っています。

――キヤノンはどんなチーム

自我の少ないチームだと思います。まだチームに歴史が無いからなのか、あるいはチームに愛情を注ぐ選手が多いからかは定かではありませんが、自我を主張するという雰囲気はないですね。組織をまとめる意味では良いことだと思いますが、逆に負の状態には弱いかも知れません。でも最近は本気の戦いを続けているので、各人の試合から得る情報が増えています。それを自分から発信していかなければいけない、という雰囲気が芽生えています。そう言う意味でもチームの成長を感じますね。

――今年の目標は

情報をしっかり共有して、問題を事前に潰していくことで、チームのみんなが気持ち良く仕事のできる環境作りを進めています。例えばコーチたちに専門性の高い仕事をしてもらうには、その環境を作ることが大切です。もうひとつは相手に対してしっかりした説明、判断ができるように情報を精査して、自分の中に物差しを持つことを心がけています。チームは若い選手の頑張りなどもあって、非常にいい雰囲気です。その勢いに負けないように、自分も精一杯やっていきたいと思います。

――ではファンの皆さんへ

個々の力はまだトップレベルではないのですが、それを補う強い横の結びつきがあり、みんなでサポートし合うチームです。ファンの皆さんとも結びつきを作って、一緒に戦っていきたいと思います。今シーズンも宜しくお願い致します。


瓜生 靖治(スカウト)

キヤノンイーグルスは、競争ができてチャンレジできるチーム

瓜生 靖治スカウト

――昨年は現役締めくくりの年だった

個人的には完全燃焼できた年でした。ベテランの役目として、自分たちの経験を若手に伝えて、もうそれができなければチームにいる意味が無いので、その点はかなり意識してやっていました。昨年は怪我で復帰が10月と言うのは決まっていたので、それまでは試合でプレーする以外のところでチームに貢献することを考えて、復帰したらそれまで通りプレーする、という考えでいました。だから焦りはなかったですね。怪我や体力的な衰えがありましたし、チームをトップリーグに上げるという結果も出すことができたので、本当に思い残すことなく引退することができました。

――永友監督を日本一の監督に

リコーから2010年に移籍したのですが、自分の役割というか使命は永友監督を日本一の監督にする、ということでした。その為にはまず、チームをトップリーグに上げるという明確な目標がありました。永友監督を日本一の監督にすることは、これからもスカウトと言う形で続けていけるので、その夢を持ち続けていきたいと思います。

――スカウトになったきっかけは

最初に声を掛けて頂いたのは2011-2012シーズンの終わりだったのですが、元々興味のあったことで、人と関わるのは好きですし、その時点でチームにその立場の専門の人がいなかったことも知っていたので、率直に「やりたい」と思いました。

――スカウトという仕事について

スカウトの仕事は自分で結果を残すことはできないので、そういう意味での難しさを感じます。どうしても相手のあることで、僕がいくらいいと言っても、相手がそう思わなければそれまでです。そこで、相手にどうやって「行きたいです」と言ってもらうかを考えて、結果として良い返事をもらえた時は本当に嬉しいですね。


瓜生 靖治スカウト

――外から見たキヤノンイーグルスのイメージは

自分たちが思っている以上にキヤノンイーグルスのことが知られていない、ということに驚かされます。「トップリーグに上がって勢いのあるチームですよ」と説明しても、特に学生の皆さんは知らない方がまだ多いですね。どうしてもサントリーさん、東芝さん、パナソニックさんといった、トップリーグで常に上位に入るチームは学生さんもイメージしやすいのですが、そこでいかにキヤノンのイメージを植え付けられるか、と言うところがキーになってきます。そういう作業を地道にやっています。

――スカウトとしての目標は

永友さんを日本一にしたいと言いましたが、この気持ちはぶれないですね。チームにも呼んで頂きましたし、本当に尊敬できる方なので、恩返しというのも変かもしれませんが、少しでも力になりたいと言う気持ちは変わらずに、このままやっていきたいと思っています。僕は選手を連れてくる立場なので、キヤノンイーグルスの窓口だと思っています。入ってきた選手をキヤノンイーグルスの選手らしい選手に育てる、そしてラグビー部を出るまでサポートする、と言うのが僕の仕事だと考えています。

――学生さんに伝えたいこと

やはり施設は間違いなく日本一だと思っているので、そのことは必ず伝えます。もう一つは、キヤノンイーグルスの若い選手が躍動していて、そこは学生にとってもチャンスになる部分だと思います。若いから色々な経験ができるし、試合に出て得られるものもあるだろうし、そう言ったことを一番ダイレクトに感じられるチーム、という点ですね。いい意味で競争ができてチャンレジできるチーム、そして先輩たちが少しずつ築いてくれたキヤノンイーグルスの文化を、継承しながらそれを根付かして欲しい、ということを伝えています。最初のトップリーグのシーズンは、スカウトの立場からも非常に大切にしたいところです。既に試合が始まってから、だいぶ周りの見る目が変わってきているのを感じます。このままの勢いでやっていければ、キヤノンはもっと注目されると思います。完成されていないチーム、という魅力もしっかり伝えていきたいですね。

――では最後にファンの皆さんへ

大きなキャンバスにまだ色が塗られていない、そんなイメージのチームです。選手たちがそのキャンバスに色を付けていくのはもちろんですが、スタッフや会社の皆さん、そしてファンの皆さんと一緒に色を付けていきたいと思います。例えば、9月の東芝戦は、本当にすごい応援をいただき、選手と応援して下さった方々が一緒になった力で戦った試合でした。そんな雰囲気を毎試合作れるように、選手はチャレンジし続けて頑張らないといけないですね。今シーズンも応援をよろしくお願いいたします。


金城 洋平(トレーナー)

チームが一つになって、みんなが笑顔でいる様子を見る時が一番嬉しい

金城 洋平トレーナー

――入部の経緯は

学生時代は柔道をやっていました。大学卒業後、一旦就職したのですが、高校の時からこのような仕事をしたかったので退職して、柔道整復師の専門学校で3年間勉強しました。その後は接骨院で働いていたのですが、縁があって、2008年3月頃からキヤノンに週末だけ手伝いに行くようになりました。それが現在に至っています。キヤノンも当時はまだクラブチームのような状態で、メンバーも集まるかどうかといった状況でした。練習場も決まっていなくて、いろいろなグランドを借りて練習していました。今からは想像もできませんね。

――怪我がないのが一番

怪我の予防の指導、そしてマッサージをメインにやっています。怪我をした選手がグランドに戻った時や、コンディションが上がってくると嬉しいですね。一番の専門分野は骨折や脱臼の時の固定や整復です。でも当たり前のことですが、怪我がないのが一番です。

――怪我をした際のワンポイントアドバイス

スポーツ活動中に起きてしまった捻挫、突き指、肉離れ、打撲といった程度の怪我の場合、RICE(ライス)という頭文字で表される応急処置が有効です。つまり、安静(Rest レスト)、 冷却(Icing アイシング)、圧迫(Compression コンプレッション)、挙上(Elevation エレベーション)という処置です。ケガをしたときはすぐにスポーツを中止して、氷水などで冷やし、包帯などで圧迫し、患部を心臓より高い位置に保持する、ということです。これらはすべて痛みを軽減させ、ケガの急性期における炎症が拡大するのを防ぐための処置です。但し、できる範囲でそれらの処置を行って、早めに専門医の診察を受けてください。


金城 洋平トレーナー

――普段の仕事は

日によってやることが違うのですが、火曜日は全員に攣(つ)り予防として、4人ほどで手分けをして全員のふくらはぎのマッサージをしています。それから通常の仕事があるので、帰りが遅くなることもあります。練習後のリカバリーは、今年はメニューの一環として組み込まれているので、だいぶ浸透してきていますが、これからも徹底していきたいですね。

――上を目指すことの厳しさ

元からいた選手が山路(泰生)と新井 光しかいないので、やはり2人には頑張ってほしいですね。パフォーマンスが高ければ残れるし、そうでなければ去るしかない厳しい世界です。最初は楽しければ良かったのが、上を目指し、会社のサポートもいただいているので、結果を出さなければなりません。中には辛い思いで引退した選手もいますが、引退後、職場で頑張っている話を聞くとやはり嬉しいですね。

――これからのこと

これまでチームと一緒に成長させてもらってきました。選手はこれからももっと厳しい部分が必要になると思います。それに伴って自分も必要な知識や技術を身につけて、自分に対してもっと厳しくやっていきたいと思います。試合に勝って、体の調子も良くて、チームが一つになってみんなが笑顔でいる様子を見る時が一番嬉しいです。いつもそういうチームでいられるように、自分も頑張っていきます。

――ではファンの皆さんへメッセージを

キヤノンは本当にチームワークのいいチームです。それは馴れ合いではなく、いい距離を取りながらもいい時間を共有できているからだと思います。そんなキヤノンイーグルスを是非応援してください。よろしくお願いします。


田口 真理恵(トレーナー)

素晴らしいチームで、そして素晴らしい施設で仕事ができることに感謝しています

田口 真理恵トレーナー

――1日の仕事は

朝9時ころにはキヤノンスポーツパークに来て、トレーナーズルームの準備をします。午前中はプロ選手の練習があるので、その前にマッサージをして、練習に立ち会って、練習後にマッサージ。その頃にはもうお昼過ぎになります。午後になると社員選手が来るので、物理療法(超音波や電気などを利用した機械による治療)の準備をします。午後の練習ではウォーターの準備や提供、怪我の対応、そして試合後はリカバリーのチェックやアドバイス、そして選手のケアをします。終わりは大体夜10時頃になります。食事は合間に急いで食べています。

――この仕事を目指したきっかけは

中学生までバレーボールでセッターを、高校ではバスケットでガードをやっていました。高校生の時に怪我が多く、でも司令塔のポジションなのでチームには迷惑を掛けられないので、無理してやっていた経験から、選手のサポートをする仕事をしたいと思い始めました。性格的にも勝負にガツガツするタイプではないので、サポート側になる方が向いています。高校を卒業して鍼灸の専門学校に3年間通い、その後同じ学校のトレーナー学科に編入して、さらに2年間勉強しました。

――最初の仕事はエンターテイメントの世界

ダンサーさんたちのケアをしたのですが、慢性的な怪我を持つ人も多く、また女性のダンサーはヒールを履いて踊るので、捻挫もしょっちゅうでした。1年ほどそちらにいたのですが、途中からキヤノンのお話をいただいたので、後半は掛け持ちでした。キヤノンでトレーナーを始めたのは2010年の9月で、ちょうど2年目のトップイーストのリーグ戦が始まった頃でした。実は学生の時にキヤノンで学生トレーナー(インターン)をやっていたので、そのご縁でキヤノンにお世話になりました。ですから今年が4シーズン目となります。

――当時と比べてキヤノンは変わった

施設が良くなったことはもちろんですが、やはり選手の取り組む姿勢が変わったと思います。自分からジムに残ってリカバリーをする選手も今は結構いますし、その辺は永友監督はじめ、トレーナーも頑張って徹底してきた成果だと思います。


田口 真理恵トレーナー

――いつも心掛けてきていることは

トップリーグに初めて昇格して、世間の目が向いていることから、選手のプレッシャーは大きいと思います。実は私はラグビーに関しては素人なので、だからこそマッサージの時などにはラグビーの話をしないで、世間話をするようにしています。選手が一瞬でもラグビーから離れて、気分転換してもらえれば、という思いからです。あとはリカバリーの徹底ですね。怪我を未然に防ぐという意味で、リカバリーはとても大事です。全選手にしっかりやってもらえるようにしています。

――リラックスして十分な睡眠時間を

リカバリーはストレッチ、マッサージ、交替浴の3本柱でやっています。その上に大事なのが、質の良い睡眠とバランスの取れた栄養の摂取です。一般の方も、寝る前に適度な運動やストレッチをしたり、ぬるめのお風呂でゆっくりと半身浴をしたりする事は、質の高い睡眠をとるのに効果がありますよ。

――キヤノンイーグルスでトレーナーをしていることについて

トレーナーとして日々勉強になることがたくさんあって、またストレングスやコンディショニングの勉強も一緒にできるので、自分のレベルアップが図れます。まだ社会人になってあまり時間がないのに、このような素晴らしいチームで、そして素晴らしい施設で仕事ができることに感謝しています。

――ではファンの皆さんへメッセージを

まだまだ若いチームですが、毎日ハードな練習を頑張っています。その成果を是非観ていただきたいので、試合会場へ来ていただければ嬉しいです。応援よろしくお願いいたします。