このページは2012年以前の情報です。最新シーズンの情報はこちらでご覧いただけます。

キヤノン イーグルス 公式サイト|スタッフレポート

選手インタビュー

一覧に戻る

選手インタビュー vol.2 副将・今井 通2009年10月16日

キヤノン ラグビー フットボール クラブ 選手インタビュー
vol.2 今井 通(いまい とおる)『チームの進化する過程を見てほしい』


◆バイスキャプテン

――76年5月24日生まれということですが、ご出身はどちらですか?

長野県の松本市です。

――いつまで松本にいたのですか?

松本市にいたのは、幼少期だけで、父の仕事の関係でその後、長野県内を転々としました。

――東海大に入るまでは長野にいたのですか?

そうです、ずっと長野にいました。

今井選手

――チームの中で年長者の方ですね?

一番上です。

――その最年長の今井選手が、先ほど練習を終えて練習道具などを率先して片付けているのを見て、ほぉーっと見ていたのですが。

今はみんなで班を分けて、この週はこの班というようにやっているので、たまたま今日が僕のいる班の当番だっただけです。

――何班くらいに分けているのですか?

A~Dの4つです。

――そういうルールも選手で決めたのですか?

そうですね。選手と林(哲朗/マネージャー)とで決めました。

――選手だけのミーティングなども行っているのですか?

何回かやっています。

――練習前のミーティングは?

必ずではないですが、やる時はやってます。

――バイスキャプテンは今年からですか?

今年からです。

――誰から任命されたのですか?

佐藤さん(一弥/GM)からです。

バイスキャプテン

――どう答えたのですか?

年長だというのもあったので、「若いのがやった方がいいんじゃないですか?」ということも言いましたが、やってくれと言われる以上、断る理由もなかったので、その時は少し悩みましたけど、お受けしました。

――同じセコムから来た前田選手(貴洋)が主将ということで、一緒にやろうということもあったのですか?

やってやるかという感じですね(笑)。前田がキャプテンに指名されたことは聞いていたので、彼がそれを受けるだろうと思っていました。

――今までリーダー役はやってこられましたか?

そうですね、どこ行ってもだいたいやってきましたね。

――自分はそういう星のもとに生まれたんだなという自覚はありますか?

どうなんですかね、そんなに素晴らしいリーダーシップを発揮するような人間だとは思っていないんですけどね。何が良いのか周りに聞いてみたいくらいです(笑)。

――自分で行動して引っ張るタイプですか?

そうですね、どちらかというと口で言ってというよりは、姿勢で示すタイプではあると思います。

◆セコム~キヤノン

――セコムに1998年に入って、10年目に辞めたのですか?

そうです、「セコムではもうやりません」と言って、その時点で移籍先があった訳ではなく、実質引退に近い形でした。

――自分の中でやりきった感はあったんですか?

やりきった感といわれたら分からないですが、その後すぐにもっと下のクラブチームレベルのところで、呼ばれていたところがあったので、そっちで楽しくやろうかなと思っていました。

――そういう中でキヤノンから話があったんですか?

そうですね、セコムの連中が5~6人みんなで話を聞きに行きました。

――キヤノンに来てみてどうでしたか?

正直、はじめは何もなかったのでビックリしました(笑)。人数も少なくて、「これで大丈夫なのかな」と思いました。最初は本当にクラブチームレベルの人数しかいなかったですからね。

――それでもキヤノンでやると決めたわけですね?

会社がラグビー部を強くしようという野心を持っていて、そのために自分たちが呼ばれたと思っていたので、そこでやめるということはなかったです。

――今年、他チームや大学から20人が加わりましたが、以前はそれ以外のメンバーしかいなかったということですね。

何人かは辞めた選手もいますが、試合をしてもベンチに7人いない状況もあったみたいです。

――首脳陣も変わり、新しい選手が20名も加わると、まったく新しいチームですね

そうですね、去年ともまた違ったチームですね。

――去年からいたメンバーと新しく加わったメンバー間のコミュニケーションなどで、特に考えたことはありますか?

そこでそんなに悩んだことはなかったですね。みんなラグビーをやるということは一緒ですから。他のチームから移籍してきたメンバーは、元々の知り合いもいて全く問題がなかったですし、後は大学の後輩などもいるので、その辺はスムーズでした。

◆生い立ち

――何歳からラグビーを始めたのですか?

小学校3年生、9歳ですね。

――長野はラグビーが盛んなのですか?

全然盛んじゃないです。転々と移り住んでいる時に、たまたまそこにあったというだけです。そこで父から言われて、入ってみたという流れです。スポーツ少年団の一覧があって、それを父が見ながら「ラグビーがある」って言って、「ラグビーやってみろ」と言われたのがきっかけです。 当時の僕的には、『キャプテン翼』が好きで、サッカーをやりたいと思っていたんですけど、「ボール蹴るのは一緒だ」と言われてラグビーになりました。

小学生時代

――お父さんは何かスポーツをされていたのですか?

学生時代にテニスをやっていたそうです。

――ご兄弟はいますか?

姉が1人います。

――ラグビーを始めてみてどうでしたか?

小学校3年生当時の記憶はほとんどないです。ボールを持って走っていたという記憶しかないです。特に楽しかったわけでもないと思います。

――足は速かったのですか?

始めた当時はそんなに速くなかったと思います。

――ラグビーを始めて速くなったのですか?

だと思うんですけどね。両親は「自分たちの遺伝のおかげだ」なんて言いますけど(笑)。

――少年団でラグビーをやって、遊びでサッカーなどもしていたのですか?

そうですね。放課後や昼休みはサッカーをしていましたね。

――サッカーをしていて、「やっぱりサッカーをしたいな」とは思いませんでしたか?

それはなかったですね。

――どこが面白かったですか?

ラグビーはボールを持って走る中で、人にぶつかったりするところが面白かったんだと思います。

――結構やんちゃな子だったのですか?

ですかね~(笑)。

――ラグビー選手の多くが人にぶつかる快感を持っていますよね

そうですね。コンタクトスポーツですからね。

――少年団でラグビーをやって、思い出などはありますか?

ラグビースクールが結構強いチームで、記憶の中では負けたことがないくらいで、僕は小学校6年生くらいでもう体格が良くなっていて、結構力強く走れていたので当時は楽しかったですね。

――縦横無尽というか向かうところ敵なしだったわけですね

そうですね、やりたい放題でしたね(笑)。

――ポジションは?

今と一緒でセンターでした。

――センター一筋ですか?

小学校5年生くらいまではいろんなところをやってましたが、その後はセンターですね。

◆中学時代

――中学でもラグビーを選んだのですか?

中学でもラグビースクールに入って、学校ではバスケットと陸上をやって、週末はラグビースクールでした。田舎なんで他にやることはなかったです。

――例えばバスケットや陸上の方が向いていると思ったことはなかったですか?

始めた時はバスケットはすごく楽しかったのを覚えてます。すごく楽しかったんですけど、すぐ荒っぽさが出てしまって、バスケでは反則になってしまい、よく怒られてました。その強引さを持ってバスケをやってると、結構ドリブルのコースを空けてくれたりして、それが良かったのかもしれません(笑)。

――やんちゃがルールで許されているとなると、ラグビーになったわけですね

そうですね。

――中学の時は強かったのですか?

小学校のチームは強かったんですが、また引っ越しをして、新しくラグビースクールを作ったようなところでした。たまたま出来たラグビースクールで、中学生は僕を含めて3人か4人くらいで、試合なんてとても出来る状態ではなかったんですけど、友達を呼んだりして掻き集めてました。来てくれた友達はその後スクールに入るようなことはなくて、みんな痛いとか怖いと言って帰って行きました。1回だけ元々いたチームと試合をしたんですけど、ボロ負けでした。そこに残っていたら僕はそっち側だったのにと思いました。

◆高校時代

――高校ではもう少ししっかりやりたいと思っていたわけですね?

そうですね。一時バスケに惹かれていた時期もありました。また漫画の話になってしまいますが、『スラムダンク』が全盛期の時でした。

――最終的にラグビーを選んだ理由は?

体格的にバスケじゃないなということで、自分で線を引きました。身長があまり伸びなかったので、190cmの人に囲まれてやっても楽しくないだろう、だったら190cmの人を倒せるスポーツの方がいいだろうと思って決めました。

――高校はどこに進学したのですか?

長野県の岡谷工業高校という諏訪湖の近くの高校に行きました。

――ラグビーは強かったですか?

県内では名門で、毎年花園に行っていました。

――花園ではどうでしたか?

1年目は試合に出てなかったですが、雰囲気から違うなと感じました。小さい時からテレビで見ていたところなので、やっぱり凄いなと感じました。

――ラグビーを辞めようと思った事はありますか?

練習では何度も辞めてやろうと思いましたが、試合では一度もありません。

――試合と練習の違いはなんですか?

練習はやらされることが多いですが、試合では自分で考えて動いているので、その差ですね。

――何事も自分で切り開いていくタイプですか?

人生ではそんなことはないです(笑)。スポーツではそうだと思います。

――高校での思い出は何かありますか?

高校の時に印象的なのは、監督に怒られたことですね。監督はすごく怖い人でした。それほど賢い学校ではなかったので、みんなやんちゃな奴が集まって、テストとかの成績も悪く、僕もいちど追試になったことがありました。追試になると、グラウンドで前に呼ばれて並ばされて、端から順に叱られました。監督としてはラグビーだけじゃなくて勉強もしっかりやれということだったんでしょうけども、それで勉強もしっかりしようとは思いませんでした(笑)。テストの点数が返ってくるのが科目で違うので、毎日呼び出されている奴もいました。僕は1科目だけで済みましたけど。

――ラグビーの指導も厳しかったですか?

厳しかったですね。毎日学校が終わってすぐから、日が暮れてもやってるくらいでした。

――中学時代とは天と地の差ですね

そうですね。けどやっぱりラグビーが好きなのでやっていました。

――高校時代に感じたラグビーの楽しさは何ですか?

なんでしょうね。みんなで何とか勝とう、ラグビーをしようというところですね。

◆東海大学

――大学はどう選んだのですか?

ラグビーで選びました。元々は他の大学を考えていて、セレクションを受けたりしていたんですが、サイズがない、ということでよく断られていました。東海大にも何人かOBがいて、セレクションをやるということを聞いて、最後の悪あがきのつもりで行きました。そこで調子が良くて、東海大へ行くことができました。親父にも「次落ちたら働け」なんて言われていました。

大学時代

――大学時代はどうでしたか?

関東1部リーグにはいたんですが、ずっと下位にいて、毎年入れ替え戦を戦っていました。大学3年生の最後で降格して、4年では2部リーグで戦いました。そのシーズンで入れ替え戦まで行ったんですが、入れ替え戦で勝てず、1部に戻ることはできずに卒業しました。

――大学のチームの雰囲気は?

大学3年まではずっとやっていた監督が見てくれていたんですが、降格したのをきっかけに、監督が変わりました。その方が今も監督をされています。

――大学は楽しかったですか?

ラグビーは楽しかったです。いろんな人がいて、いろんな刺激がありました。今までの長野県の中での世界から、全国に開いた感じです。

――大学でのラグビーで最も印象的なのは?

降格した試合です。怪我をしていて試合には出ていないんですが、ベンチで見ていて、こんなに悲しい事があるのかと思いました。それまでずっと試合に出ていたんですが、その試合の前の練習で怪我をしてしまい、その試合だけ出ていませんでした。試合に出ていれば、負けたことを納得できたかもしれませんが、何もできずに降格という、何か違った悔しさがありました。

◆社会人

――社会人でもラグビーをやると決めたのは?

大学に入る時からそのつもりでいました。しかし、これも大学入学時と同じでなかなか決まりませんでした。来てくれと言われたチームは何チームかあったんですが、そこには行きたくなく、断っていました。しっかり上を目指しているチームでやりたかったというのが大きくて、最終的にセコムに決まりました。

社会人

――どうやってセコムに決めたんですか?

セコムにもOBがたくさんいて、なかなか決まらない僕を見兼ねてという部分もあったのかもしれませんが、「来ないか」と言ってもらいました。本当は東日本リーグでやっているチームでやりたかったんですが、セコムも強化して、近々昇格を狙っているということで、大学の時に降格して、昇格できなかったので、ここで昇格して東日本リーグでやろうと決めました。

――社会人までラグビーを続けて、お父さんは喜んでいたのではないですか?

喜んでいたと思いますが、あんまり嬉しいとか言わないんです。大学の頃も良く試合を見に来ていて、社会人になっても来ていたんですが、姉が結婚して子供ができたら、そっちの方が可愛くなって、来なくなりました(笑)。

――セコム時代はどうでしたか?

入社した年に昇格して、その後毎年入れ替え戦でしたが、残留して、2003年にトップリーグが開幕しました。そのトップリーグ初年度で降格して、次の年で戻って、2007年にまた降格して、今トップイーストです。大学から考えても、毎年入れ替え戦です。

――セコムではやはり1年目が印象的ですか?

1年目とトップリーグ元年ですね。

――思い出に残る試合はありますか?

東日本リーグ時代に全国大会予選で、格上のクボタに勝って全国へ行ったことですね。その試合で2トライして、絶好調でした。23歳の時です。

――自分の売りは速さですか?

ボールキープ力が一番の売りですね。そんな簡単には倒れないです。

◆ラグビー24年目

――24年間続けているラグビーの楽しさは何ですか?

この質問にはいつも困るんです。何が楽しいかといわれると困りますね。やっぱりぶつかり合うところですかね。 あとはいろいろ選択肢の多いスポーツなので、場面ごとに選手が判断して決めていくことですね。僕は選択肢は少ないんですけどね(笑)。

――会社での所属部署は?

人事部の厚生課です。

――セコムの時は?

警備員と最後は営業をやってました。

――警備員のコツは何ですか?

何ですかね、言われたことに従ってることですかね(笑)。

キヤノンへ

――今の仕事は全然違いますよね

多少慣れたところです。

――面白いところはありますか?

仕事はいろいろ楽しいですよ。何がというわけではないですが。

――今年の目標は?

トップリーグ昇格です。

――個人的な目標は?

それに向かっていく努力をすることは勿論、チームの力になることです。

――結婚はされているのですか?

しています。

――お子様は?

生まれたばかりです、女の子です。

――ではラグビー選手には出来ないですね。

間違ってもしたくはないです(笑)

――ファンにキヤノンのここを見てほしいというところは?

他のチームに比べて、特殊なチームだと思いますが、そのチームの進化していく過程を見て頂ければ面白いと思います。新しいチームなので、伸びしろがたくさんあると思います。そこに注目して欲しいですね。