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キヤノン ラグビー フットボール クラブ 選手インタビュー
vol.3 山路 泰生(やまじ やすお) 『スクラムの軸になりたい』
――出身地は?
台東区浅草です。
――7人兄弟と聞きました
僕が一番下で一番上とは17歳離れています。男5人女2人でいろいろと大変でした。
前列、右端が山路選手
――頻繁に兄弟げんかもしていたんですか?
よくいじめられたり、逆にいじめ返したり。兄弟げんかで警察が来たことも何回かありました(笑)。
――兄弟は皆さん体格が良いんですか?
でかくて太いのは僕くらいですが、みんな骨太でガタイはいいですね。
――子供のころからラグビーをしていたんですか?
やっていないですね。小学校の時は4、5、6年と野球と水泳をやっていました。野球ではピッチャーで4番だった時もあったんですが、左で打ったり、イチローキャッチとかをしていたら監督に嫌われ、6年の時はコーチャーをやっていました。
――中学校は長崎ですよね?
中・高と長崎です。中学から修道院に入っていました。小6の時に父親に勧められて、小学6年の時に人生を決めて、キリストの道を進み自分は神父さんになるんだと。そのための学校が長崎にしかなく、知り合いも長崎にいたので、親元を離れて長崎へ行きました。
――そのころはどのような生活だったんですか?
学校から帰ってきたら、夕飯の前にお祈りがあって、その後に30~40分の自由時間にテレビを見て、7時30分から9時30分までが自習時間というような、決まった日程で過ごしていたので部活には入れなかったです。
――ラグビーを始めたのはいつごろですか?
中・高一貫校で高校1年の冬からラグビーを始めました。
――高校からは部活できるようになったんですか?
修道院に入っている生徒はダメだったんですが、高1の夏にいろいろと理由があって、修道院をやめました。編入試験を受けて東京に帰ってこようと思っていました。
――ラグビー部に入ったきっかけは?
中・高一貫の学校だったので、高校のラグビー部の監督に中学の時から「お前ラグビーやったほうが良いよ」とずっと言われていて、修道院に入っている生徒は部活が出来ないということもあり「僕はラグビーはやりません」とずっと断っていました。
しかし、高1の1学期に修道院をやめた後に、編入試験が3学期だったので2学期だけ高校の普通の寮に入ったんですが、その時にラグビー部の監督やクラスの中で唯一のラグビー部の選手から「一緒にラグビーをやろう」と誘われ、泥だらけになるのも嫌だったし断っていたんですが、最後には勧誘に負けて、気づいたらラグビー部に入っていました。
ラグビー部の中に友達が結構いたのとラグビー部には太っている選手がたくさんいたので、自分も出来るだろうという軽い気持ちでした。
――実際ラグビーをしてみてどうでしたか?
全くルールなど分からなかったですね。また強豪校だったのでちょうど入部したのが花園予選が終わった冬場で、走り込みばかりでした。練習の内容もよく分からなかったんですが、監督から「お前はいい選手になるから」と言われ、信じてやっていました。
――当時はラグビーをしていて楽しかったですか?
楽しかったです。初めてやるスポーツだったし、また先輩や同期が良い人ばかりだったので楽しかったですね。
――そのころはラグビー自体の楽しさはどのあたりに感じていたんですか?
僕はラグビーというスポーツをボールを使った格闘技と考えていて、ルールの範囲内では思いっきりぶつかったりすることができ、何をしても怒られないうのが楽しかったですね
――その当時は怪我の経験は?
高校3年の夏に足の甲を骨折したことがありました。夏の練習は走りこみ中心のメニューが多く、痛みは感じていたんですが、僕のポジションは太った体型の選手のポジションだったので、デブが痛がっていたら嘘だと思われるんですよ。走りたくないために嘘をついて痛がってる振りをして、練習を休みたいだけなんだろというような目で見られるんですよ。
その週の月曜日から痛かったんですが、そういう目で見られるのが嫌で我慢して走っていたんです。しかし、痛みがひかず病院に行ってみると、疲労骨折で2本骨が折れていました。
――高校の練習は相当ハードだったんですね
死にたくなるくらいきつかったです。また九州で近くに強豪校がいたので、合同練習とかよくやっていました。
――当時は大学でもラグビーを続けようと思っていたんですか?
迷っていましたね。3年の時、中途半端な気持ちで大学ラグビー部のセレクションを受けたりしていました。そこで面接官に自分の中途半端な気持ちを注意されることもありました。最終的には南山高校の先輩もいるということで、神奈川大学でラグビーをすることに決めました。
――大学の時に一番印象に残る試合は?
大学1年の時に3部優勝を決めた試合と、4年の時の最終戦ですね。4年の時、自分がキャプテンをやってチームは勝ち続け、残り3試合となった時に試合の2日前に怪我をしてしまったんです。事故でしたが17針縫いました。
――怪我をした時、キャプテンとしてどう思いましたか?
すごく悔しかったですね。怪我をした翌日、グラウンドへ行ってみんなに謝ったんですが、こんな大切な時期にキャプテンとして何やっているんだと選手は恨んだでしょうね。その後チームは2連敗して、優勝もなくなり、今後のためを考えるとゆっくりと治した方が良かったんですが、整骨院の先生に相談して、最終戦に出場するために朝から晩までリハビリをやり、そして体に良いということは何でもやりました。
そして試合数日前に抜糸をして、傷口をぐるぐるにテーピングして、最終戦出場することが出来ました。優勝や入れ替え戦出場の可能性もなくなり、その試合に間に合わせる必要はなかったんですが、キャプテンとして1年間やってきた集大成を後輩に残したかったので、とにかくその試合には出場したかったです。
――それから大学卒業後キヤノンでラグビーを続けることを決めた理由は?
神大にキヤノンが練習に来ていて、一緒に練習していた時にチームから誘われて、キヤノンの関連会社に入社し、ラグビーをすることとなりました。
――キヤノンラグビー部は創立2年のチームで、いろいろなチームから選手が集まっていますが、違和感などはなかったですか?
最初はいろいろなチームから選手が集まりバラバラのチームだと思っていました。以前は元○○の○○選手という感じだったんですが、日々の練習やコミュニケーションを通じて、今ではそういう感覚がなくなりました。チームが徐々に1つにまとまってきていて、キヤノンの○○選手というのが普通になりました。
――ちなみに今の部署はどこになるんですか?
インクジェット事業本部のIT推進部です。
――仕事との両立は大変ではないですか?
チームとして選手が仕事をしながらラグビーをすることで、社員の皆さんの中でファンを増やそうという目的もありますし、僕としてもラグビーの面白さを分かってもらうためにも、会社の仕事を通じて社員の方とコミュニケーションをとりながら、自分を認めてもらってラグビーを応援に来てもらう人を増やそうというのも意識でやっています。
いきなり「ラグビー部が出来たので応援をお願いします」といっても訳が分からないと思うんですよね。先日練習が休みだった日の昼休みにファンクラブの申込書を部署の方200名全員に配りました。昼休憩だったのであまり人がいなかったですが、席にいる方には興味を持ってもらおうと声を掛けてまわりました。
――第2戦秩父宮ではたくさんの方が応援に駆けつけていました。山路さんにとっては初めての秩父宮での試合だったんですか?
初めてだったのでびっくりしましたね。何だここは?みたいな。他のほとんどの選手は秩父宮で試合をしたことがあったようで「山路さん始めてなんですか?」「山路さん(秩父宮は)やばいっすよ」「自分も(秩父宮)初めてのときは緊張した」ってみんな言って来るんですよ。 ラグビー選手がいちばん良いグラウンドは秩父宮だと言っているし、今までは観客席でしか見たことがなかったので、試合前から緊張して、試合に早く出たくってずっとウォーミングアップしていました。交代で出場して15分ぐらいでしたが楽しかったですね。また、たくさんの人に応援に来てもらったり、横断幕とかを見ると本当に嬉しいですね。
――会社からのサポートは感じますよね
嬉しいですよね。今日もあったんですが仕事中にトイレに行った時、手を洗っていた人が僕を2度見するんですよ。その方とは今までは全くしゃべったことのない人ですが「この前、横河戦観に行ったんですよ。次も応援に行くから」と言われました。そういう時に応援してもらっているという気持ちになって、すごく元気づけられるんですよ。そういう応援の一言に本当に力をもらっています。
――山路さんの得意なプレーは?
スクラムですね。今までスクラムが強いとか言われたことがないんですが、今、いろいろな方から指導してもらって、スクラムを組むのが楽しいんです。将来的にはチームのスクラムの軸になりたいです。
――スクラムの練習を見ているとキツそう見えますが
確かにキツいんですが楽しいです。何でラグビーをやっているかというと、ラグビーは奥が深いからだと思うんですよね。ベテランの選手でも頭を抱えて悩んだりしてますし、技術的にも吸収することが多くて、常に上達していけるところが楽しいんです。
――今シーズンの目標を教えてください
個人の目標はスターティングメンバーとして試合に出ることです。チームとしてはトップイーストで上位に入り、トップリーグに昇格することです。勝つことでしか感謝の気持ちを返せないので勝っていきたいですね。また母親も赤飯のおにぎりを作って応援に来てくれるので、活躍するところを見せたいです。
――秩父宮でも試合後選手の皆さんはおにぎり食べてましたね
うちの母親のおにぎりは選手の間で有名なんですよ。秩父宮の試合では80個作ってきてくれました。車の運転ができないので兄弟を使ったり、僕の友達を使ったりして持ってきてくれるんです。NTTコミュニケーションズの試合の時は80個の赤飯おにぎりと、赤飯が食べられない選手のために混ぜご飯のおにぎりを40個作って持ってきてくれました。
大学の時からなんですが、一度負けた試合の後に「試合に負けて赤飯なんて食べれないから持って帰って」と言ったことがあったんですが「次の試合勝つために食べろ」って言われて、それからは勝っても負けてもチームでおにぎりを食べるようになりました。みんな喜んでくれるんで母親にとっては生きがいのようなものです。親孝行の意味でも、試合に出て勝ちたいですね。
――それではファンの皆さんにメッセージを
ラグビーを知っている方、そして知らない方にも「ラグビーっていいな」「キヤノンのラグビーっていいな」と思ってもらえるように、日々練習に頑張って試合でチャレンジしていきますので、是非試合会場に足を運んでいただいて応援宜しくお願いします。