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キヤノン ラグビー フットボール クラブ 選手インタビュー
vol.9 小松 元気(こまつ もとき) 『キヤノンをトップリーグで戦えるチームにする』
――出身は?
新潟県新潟市です。
――ご兄弟は?
兄貴が一人です。
――子供の頃からラグビーをしていたのですか?
親父がラグビーをしていたので子供の頃から遊びでパスなんかはしていましたが、ラグビースクールがなかったし、雪も降るので、屋外でラグビーという文化はなかったですね。スポーツは、物心ついた頃からレスリングをやっていました。
――レスリング教室に通われていたのですか?
ジュニアのチームがあって全国大会にも出場していました。そして小学校4年の時に全国3位になりました。レスリングは中学に入る前までやっていました。
――強かったから楽しかったでしょう?
そうですね。兄貴と「レスリングをやるならファミコン買ってやるよ」という言葉につられて強制的に始めたのですが、兄貴は性格が温厚なので途中でやめてしまいましたが、自分は結構楽しかったですね。中学ではやんちゃしていて、一番楽そうなバレー部に入りました。
――高校では?
親父の作戦だったかもしれませんが「新潟工業が実家の近くでいいんじゃないの」って言われ、車が好きだったこともあり、機械科ではエンジンもいじれるので良いかなあ、と思い入学しました。そうしたら、たまたまラグビー部が新潟でいちばん強い高校でした。親父が「俺もラグビーやっていたんだから仮入部してこいよ」と言われて行ってみると、新入生の試合形式の簡単なゲームがあり参加しました。そこで大活躍してしまって入部することになりました。後で聞くと親父とラグビー部の監督が高校の同級生だったので、作戦だったかもしれないですね。
――入部してからはどうでしたか?
楽しかったですね。ポジションは最初はロックで、3年の時はナンバーエイトでした。
全国大会にも1年と3年の時に出場しました。
――大学でもラグビーを続けるようになったのは?
熊谷工業の監督が高校日本代表の選手を選抜する仕事をやっていて、そこでよく練習を見ていただく機会があり、そのつながりから立正大学の堀越監督(元日本代表)が新潟まで来た時に、うちに来てくれないかということを言われました。自分としては関東学院に行きたくて推薦の話しをしていたのですが、うちの親父が堀越さんと一晩飲んで、母ちゃんも巻き込んで飲んで、関東学院はダメだけど立正なら行かしてやるぞと親父に言われて、諦めて立正に行くことを決めました。
――大学の時は試合には?
2年生くらいの時から試合に出るようになって、4年でキャプテンをやりました。3年の時から試合で活躍するようになり、セコムや他の社会人チームから声がかかるようになりました。
――大学時代で一番印象に残っている試合は?
現役日本代表のホラニ 龍コリニアシ(三洋電機)のいた埼玉工業大学との試合ですね。彼が埼工大のナンバーエイトで、ゴール前に走ってきた時にタックルにいったら鼻が折れました。
また、大学最後の試合の国士舘戦ですね。順位も確定していて消化試合でしたが、最後の試合ということで泣きながら試合したことを良く覚えております。
――社会人ではラグビーを続けるつもりだったのですか?
社会人ではラグビーをやるつもりはなく、営業の仕事がやりたくてキヤノンの販売会社などいくつか内定をいただいていたのですが、セコムから声をかけていただいていました。
大学4年生の時がトップリーグ元年で、たまたまセコムとNECの試合を観に行き、その試合はセコムが勝ったのですが、セコムがその後3連勝して、面白いチームだと思うようになりました。それで必要とされているチームに行ってみようと思い、セコムでラグビーを続けることを決めました。次のシーズンもトップリーグに残留するだろうと思っていたのですが、得失点で降格して入社した年はトップイーストでした。
――セコムでは1年目から試合に出場できたのですか?
当時セコムの加藤監督が厳しい方で、特に新人には厳しくて、その監督のプレーに対する要求や精神的なプレッシャーに、新人はプレーが萎縮してしまうのです。僕も入部してすぐのオープン戦のプレー内容が酷くて、その後、シーズン前の合宿まで一切試合に出してもらえませんでした。そして、ある程度レギュラーが固まってきた頃に、自分の中で吹っ切れて、「なにくそっ」と思って練習から自分の全てを出して思いっきりやっていたら、開幕前の練習試合に出してもらえるようになり、そのまま開幕はスタメンで出場することが出来ました。
――その後はプレッシャーは感じませんでしたか?
一回吹っ切れてしまうとその後は全く感じませんでした。「関係ねぇや」と思ってやって いましたね。試合に使ってもらっていたということは、プレーは良かったのだと思います。今までラグビーをやってきて、セコムの1年目の練習が一番厳しかったですね。当時体重が85kg位でしたから。
――練習の厳しさからですか?
毎日走らされて、今は100kgあるので15kg位痩せていましたね。ガリガリでした。
――その体重でラグビー選手としてプレーに影響はなかったですか?
確かに軽かったですが、その分走れましたね。今は当時に比べると走れないですね。仕事量とか全てにおいて、当時の方が良かったんじゃないかと思うくらいです。
――セコムでは何年間プレーしたのですか?
5年ですね。トップリーグでは怪我がなければ出場していました。特に嬉しかったのが「トップリーグアワード」というシーズン終了後の表彰式があるのですが、ベスト15という関係者が選ぶポジション別の投票で、僕に票が入っていたことがあり嬉しかったですね。
また僕がラグビーを始めるきっかけとなった憧れの選手、神戸製鋼の伊藤剛臣さんと試合したことも印象に残っています。子供の頃からテレビで見ていて「この人すごいなぁ」と思っていた人だったので、試合中に「本物の伊藤剛臣だ」と感動したことを覚えています。そして、アフターマッチファンクションで、伊藤さんが加藤監督に「後半から入ってきた選手、よく走るし、元気があっていいね」と自分のプレーを褒めていたと聞いて、憧れていた人から褒められ最高の気分でした。
――アフターマッチファンクションの中で話しかけなかったのですか?
話せないですよ。あの人はオーラがすごいので、近づいたのですが話せなかったですね。本当にすごい人です。
――その頃のチームはトップリーグの昇格、降格を繰り返していましたね?
そうですね。トップリーグから降格した時に自分の中でモチベーションが落ち、そしてセコムがラグビー部の強化を止めるということもあり、ラグビーを辞めようかと思った時もありました。一昨年、キヤノンから話を頂いていたので、チームにはその頃から移籍の話はしていました。
――キヤノンでプレーしたいと思った理由は?
先輩も多かったのでいろいろと話を聞いたり、試合を見に行ったりして、トップリーグを目指しているという気持ちがプレーから伝わってきて、上を目指してやるというのが単純に面白そうだと感じたことと、そのチームが強くなる過程を一緒に過ごして、その力になれればという気持ちがあり、決意しました。
――ちなみに今の部署は?
CE本部と言うコスト管理を行なう部署です。
――他の選手は総務とか事務系が多いですよね?
理数系の大学卒業の方が多い職場ですね。例えば1つの部品の製作にあたっての金額的なコストや時間的なコストを管理する仕事です。他にもいろいろな仕事を手伝わせてもらっています。
職場でも同僚の下村健選手(右)と
――話を聞いていると仕事も楽しそうですね。
仕事は楽しいですし、上司がラグビーやっていた人で理解があり、今は「ラグビー頑張れ」と言ってくれて試合にも応援に来ていただいているので、本当に部署の方や上司には感謝しています。
――セコムと昨シーズン試合がありました。どういう気持ちでした?
セコムはラグビーに対しての気持ちと団結力はすごく強かったですね。ラグビーは気持ちの部分が大切だということを改めて感じさせられました。
――それではキヤノンのチームの雰囲気は?
前のチームはファミリーという感じだったのですが、まだそこまでにはなっていないですね。試合を重ねるごとにだんだん良くなってきているので、これからだと思います。ファミリーのようにチームが一つになれば、相当強くなると思います。時間がかかると思いますが、今はそういう絆を作るために頑張っている段階です。
――小松さんの得意なプレーは?
「ドミナントタックル」です。相手を一発で仕留めるタックルです。最近あまりないのですが(笑)、キヤノンに来てから出来ていないので、そういうプレーをこれからどんどん出していきたいですね。
――ラグビー自体の楽しさはどこに感じますか?
チームスポーツなのでみんなで、1つの目標に向かって勝った時の快感ですね。そういう気持ちを味わうためにやっています。
――これからの目標を教えてください。
来年以降も見越してチームをもっと1つにしていくことです。トップリーグに昇格するのが最終目標ではなく、トップリーグで戦えるチームになるのが目標です。
――小松さんは結婚されているのですか?
独身です。
――ラグビー以外の楽しみは?
バイクが好きでハーレーに乗っているのですが、ハーレーに乗って目的もなく走るのが気持ちいいですね。他に車だったり、お酒を飲むことだったり、スノーボード、サーフィンなども好きです。
――新潟出身だけあってウィンタースポーツが得意なのですか?
スノーボードはラグビーより上手いです(笑)。ずっとスキーだったのですが、大学の時からスノーボードを始めて。自信はありますね。
――でもラグビーとシーズンが重なって、あまり出来ないのでは?
オフに休みを取って行っています。正直、前のチームの時はシーズン中も内緒で行っていました(笑)。
――怪我の心配は?
怪我しないくらい上手いので(笑)。もちろん無理はせず、怪我をしない程度に気分転換にやる程度です。シーズンが終わったらガンガンにやりますが。
――それでは最後にファンの方にメッセージを
とにかく、今のキヤノンは上に向かっているベクトルだけはどのチームよりも強くて、チームがもっとまとまれば、どのチームよりも強くなれると思います。競った試合になると、応援が勝敗を左右するくらい重要になります。今年も会場へ足を運んでいただき、応援を宜しくお願いします。