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キヤノン ラグビー フットボール クラブ 選手インタビュー
vol.15 トマシ・ソンゲタ(Tomasi Soqeta)『トップに行きたい』
――チームの環境はどうですか?
予想以上に素晴らしいです。今までサテライトリーグでトップイーストのチームと対戦し、いろいろなチームの施設を見ましたが、その中でもキヤノンの施設は素晴らしいと思います。
――去年はトップリーグでプレーし、今年はトップイーストでプレーするわけですが、意識の違いというものはありますか?
サントリーはスター選手がたくさんいたので、自分のことしか考えられませんでした。キヤノンでは、トップリーグ昇格という共通目標があり、みんなで頑張っていこうという意識に変わりました。
――いま何歳ですか?
今年27歳になります。キヤノンは若いチームなので自分が歳をとったように感じます(笑)。
――ソンゲタ選手よりも年上の選手もいますし、若い選手とのパイプ役ですね
サントリーはベテランが多くて、ほとんどの選手が年上でしたが、キヤノンではその逆で、多くの選手が年下なので、これから成長していくチームだと思います。
――ラグビーは何歳から始めたのですか?
10歳からです。
――その前は他にスポーツはやっていましたか?
私の故郷はフィジー島ではなく、離島の小さな島で育ったので、海で泳ぐくらいしかやることがありませんでした。
――ラグビーを始めたきっかけは何だったのですか?
シチベニ・シビバツ(ニュージーランド代表/WTB)と一緒のクラスでしたが、一緒にフィジーのスポーツ学校に行っていました。その学校の卒業生にはラグビーのフィジー代表もたくさんいました。そのスポーツ学校同士でスポーツの対抗戦があるのですが、その中で一番競い合いが激しかったのがラグビーでした。それでラグビーを始めました。自分の学校の誇りを背負ってラグビーをしていました。
――その時から体は大きかったのですか?
元々フィジー人は体が大きい方ではありません。私の場合はフィジーから離れて食べるものが変わり、トレーニングをしたことで体が大きくなりました。フィジーの人はニュージーランドなどに移住すると、いきなり体が大きくなります(笑)。
――いつまでフィジーにいたのですか?
16歳までフィジーにいました。その時はYES、NO程度の片言の英語しか話せませんでした(笑)。ニュージーランドのラグビーで有名なウェズリー高校に転校して、ラグビーをしていました。
高校卒業後にオタゴラグビー協会と2年契約をしたのですが、ビザの関係で勉強しなければいけなかったので、オタゴ大学で勉強をしていました。1年半で契約を解除してオタゴ大学を離れて、タラナキーというチームとプロ契約をしました。その時は20歳でチームの中でも一番年下なので、雑用が多くこき使われていました(笑)けど、そこで4年間プレーしました。
――ポジションはどこをやっていたのですか?
6番(FL)と8番(No.8)をやっていました。個人的には6番のほうが好きですが、なぜか今までは8番でプレーすることのほうが多いですね。
――なぜ6番のほうが好きなのですか?
ボールキャリアの第1ポジションになれるからです。8番だとスクラムでもラインアウトでも最後尾で、攻撃での最初のポジションになりにくいですからね。それはラグビーでの一般的な考え方ですが、私はボールキャリアが好きで、サントリーでは運が良いことに清宮監督(克幸/前サントリーサンゴリアス監督)から「8番でもブレイクダウンに行く仕事よりボールキャリアになれ」という指示が出ていました。
実際にはポジションでの役割というものは監督によって考え方が違うと思います。私はラックでもコンタクトでも好きなので、今はチームにとって私がラインブレイカ―となることが良いと考えています。
――足が速いと聞いています
シーズンが始まるのを楽しみにしていてください。
――体が大きく、しかも足が速かったら、日本人は対抗出来ないですよね
日本人は外国人ほど筋肉が無くてその分、骨が出ているように思います。コンタクトのとき直接骨が体に当たって痛いですね(笑)。私が向かって行ったら目を閉じてしまっている選手もいますが、日本人は素晴らしい選手がたくさんいます。目を閉じてしまっている選手はすぐ抜くことができますが、ちゃんと目を開いて向かってくる選手にはかなり苦戦します。
――ディフェンスをかわしていくプレーと、倒していくプレーではどちらが得意ですか?
どちらのプレーも好きです。ディフェンスが詰めてくるときにはそのまま当たりに行きますし、あまり詰めてこないディフェンスに対してはかわしていきますね。
――去年、ずいぶん髭を伸ばしていましたが、何か理由があったのですか?
「いつ剃るの?」とよく言われていました(笑)。去年、父が亡くなり、国の習慣として家族が亡くなった時に100日間なにかを禁じなければいけません。兄弟たちはメインディッシュを食べないという断食をしていました。私はラグビー選手なので断食は出来ませんから、髭を剃るということを100日間禁じました。周りの人たちはその事情を理解してくれていたのですが、100日というのはすごく長かったです。100日間禁じることはなんでもいいというわけではなく、大切なものでなくてはいけません。だから断食がいちばん多いです。私は断食ではなかったですが、大好きなラーメンを食べないようにしていました(笑)。
――他に日本の文化と違うフィジーの文化はありますか?
私が育った島では街の中でも靴は履かないです。それから小さい島なので、車も自転車も無いところでしたね。本当に小さな島だったので、島の全員のことを知っていましたし、お互いの行動もすべて把握しているくらいでした。島に帰っても走る場所もなく、トレーニングはやっぱり泳ぐくらいですね(笑)。
――ニュージーランドに移住した時は大きな驚きがあったのではないですか?
そうですね。電気も多くて、未来の国だと思ったくらいです(笑)。それと、食事の量と質もとても違いました。フィジーに住んでいた時は、食事の量は昼も夜も片手に乗るくらいでしたから。
私の島には学校がなく、小学1年生の時からフィジー島の学校で寮生活をしていました。ものすごく大きな学校で、1000人くらい生徒がいる男子校でした。そこでは月曜日から金曜日までは朝5時に起きて農作業をしていました。農作業を6時半まで行い、7時に朝食を食べ、そして学校が終わったらすぐに寮に帰ってきて、そこからまた農作業。農作業が終わったら夕食を食べて、その後に勉強をするので、22時くらいまでは寝られなかったですね。土曜日は学校が休みでも、朝の6時から10時までは農作業をしなければいけませんでした。日曜日は勉強と教会の日でした。そんな生活の中で、ラグビーシーズンはラグビー、陸上シーズンは陸上もやらなければいけなりませんでした。
いま一番下の弟が同じ学校に行っていますが、いまは土曜日だけ農作業をすればいいので、弟はラッキーなやつですよ(笑)。私はそういう生活でしたし、フィジーは暑くてあまり食欲が出ないので、体はそれほど大きくはなかったですが、ニュージーランドに行ってからは食事も取り放題で、体が大きくなりました。
――その弟さんは何歳ですか?
16歳です。ラグビーには興味ないみたいで、勉強ばかりしています。(笑)。
――他にご兄弟は?
兄と弟2人と妹の5人兄弟です。兄はニュージーランドのサウスランドというチームでラグビーをしていて、もう一人の弟は今年から豊田自動織機ラグビー部に入りました。妹もフィジーの学校に行っています。
――豊田自動織機ラグビー部に入った弟さんとは会っていますか?
キヤノンに合流する前にフィジーで会っていましたが、日本に戻ってきてからは連絡を取ってないです。弟が日本に来たばかりで、まだバタバタしていますからね。
――ニュージーランドからイタリアのアルマヴィヴァ カピトリーナというチームに移籍しましたが、そのきっかけは何だったのですか?
まずいろいろな経験をしたいという思いがありました。イングランドやフランスからもオファーがありましたが、イタリアがいちばん良い条件でした。そのチームは有名なチームではなかったのですが、強化するにあたっていろんな国の選手を獲得していました。ローマを拠点とした唯一の1部リーグチームで、南アフリカ代表やアルゼンチン代表の選手もいて、素晴らしい選手が集まっていました。
――イタリアということで、言葉や文化の違いによる苦労はなかったですか?
全く苦労はしませんでした。ローマのような都心にいるイタリア人はほとんど英語を話せましたから、問題は無かったですね。
――生活環境の面ではどうでしたか?
トレーニングがいちばん大きな変化でした。イタリア人は交流が好きで、午前の練習が終わったら、みんなでワインを飲みながらチーズを食べて、それから午後の練習をしていました(笑)。
ある合宿の最終日に2部のチームと試合があったのですが、その前の日に合宿の打ち上げで試合の日の朝6時まで飲んで、10時から試合をやりました(笑)。その試合は100点差で勝ったのですが、コーチから「お酒を飲ませた方がいいプレーをする」と言われました(笑)。
――トマシ選手もお酒が強そうですね
ワインに関してはイタリア人には勝てないです(笑)。
――食事はどうでした?
パスタが好きなので大丈夫でした。ただパスタばっかりだったので、最後の方は嫌になりました。それにイタリア人は何でもかんでもチーズをかけますね(笑)
――イタリアのあとに日本に来たわけですが、そのときの印象は?
初めて日本の選手を見た時に「小さい」と思いましたが(笑)、タックルを受けた時にもの凄く痛かったです。 それからイタリアは試合の展開が非常に遅かったのですが、日本は展開が速いですね。 もしイタリアのローカルチームと日本のチームが対戦したら、日本が楽勝すると思います。 それからイタリアはコンタクトに対するパワーは凄いですが、それ以外は休みが多いです。日本はその逆で、コンタクトはそんなに強くないですが、展開が速くて休みがありません。日本で練習をしてからイタリアに行けば、きっと活躍できると思います。
――日本に来たきっかけは?
まだ若かったので、いろいろチャレンジしようと思い日本に来ました。今シーズンがとても楽しみです。
――日本に来たのは何年前ですか?
2007年の12月後半にサントリーを見学に来たのが初めてなので、今年で3年目です。
――日本にはもう慣れましたか?
日本が大好きです。私は慌ただしい生活が好きじゃないので、今のリラックスできる時間の持てるライフスタイルが気に入っています。試合の後も一息つく時間があるので、次の試合に向けて十分準備することができます。それに寿司などの日本食も大好きです。
――キヤノンに来るきっかけは?
時々サントリーの練習に永友(洋司)ヘッドコーチが来ていてチームとしての繋がりがあったので、キヤノンについていろいろと聞いていました。また馴染みのある東京のチームということもありました。そしてキヤノンがトップリーグに昇格したいという思いが凄く強いことを聞いてその一員になりたいと思いましたし、キヤノンの未来にも魅力を感じたので決めました。
――キヤノンでの目標は?
勝つことです。まずは自分の対面に勝って、そして試合に勝って、トップリーグに行きたいです。
――有難うございました。是非頑張ってください。