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キヤノン ラグビー フットボール クラブ 選手インタビュー
vol.16 カラム・ブルース(Callum Bruce)『チームが勝つためならば、どんなことでも受け入れる』
――オープン戦の横河武蔵野アトラスターズ戦が、キヤノンに加入して初めての試合でしたが、出来はいかがでしたか?
非常に楽しめましたし、3週間一緒に練習してきての試合だったので、コールなどもしっかりと理解できました。キヤノンのチームとしての絆を築き上げている中で、キヤノンの考え、戦略の中で、共に戦えたことが楽しかったです。たくさんの皆さんのサポートがあったからこそできたと思っています。
――スーパー14のチーフスでのシーズンが終了して、すぐキヤノンに合流したのですか?
3週間のオフがあって日本に来たのですが、キヤノンに入ることが急きょ決まったので、オフのほとんどの時間を引っ越し準備などに使いました。あとは国を離れるということで、家族や友人と会ったりしました。
――あまりオフがなかったわけですが、調子はいかがですか?
今日もフィットネストレーニングをやりましたし、調子はいいですね。もう少し試合に出てゲームフィットネスをつけたいです。
――調子が良い時のプレーはどういう感じですか?
調子がいいときは、何をしたらどういう状況になるのか、ここでスペースが空きそうだとか、ここで仕掛けたら抜けそうという、先のことが予測できる感覚になります。
――出身がニュージーランドですが、サッカーW杯南アフリカ大会にニュージーランドが出場しましたね
残念ながらグループリーグで敗退してしまいました。まだ日本の生活に慣れなければいけないという状況で、ゆっくり観戦することはできなかったのですが、ニュージーランドがどこまでいけるのか興味がありました。ニュージーランドはラグビーが国技ですが、サッカーでもW杯に行けたことで、注目を浴び始めたのは良いことだと思います。
――ニュージーランドはサッカーのユニフォームもオールブラックスでしたが、黒という色は何か特別な色なのですか?
サッカーは黒と白の2種類ありますね。たぶんラグビーのオールブラックスが最初に黒のジャージを着て強かったので、他のスポーツでも黒になったのではないかと思います。ちょっと詳しくは分からないです(笑)。オールブラックスというのは古く歴史があるので、そこまで築き上げてきたものに対して、全員が敬意を表してサッカーも同じ形でやっていこうという思いがあると思います。
――それだけラグビーが盛んで、カラム選手もラグビーを始めるのは自然な流れだったのですか?
生まれ育ったところは牧場がたくさんあるところで、実は最初はサッカーをやっていました(笑)。10歳の時に引っ越した街では、周りがラグビーをしている人ばかりだったので、溶け込むためにラグビーを始めました。
――初めてラグビーをやった時の思い出はありますか?
唯一覚えていることは、ハーフタイムにオレンジを食べたことと、裸足でやっていたということですね(笑)。
――最初のポジションはどこでしたか?
ポジションもなく、走りまわってボールを追いかけている感じでした。本格的にラグビーを始めたのは、11、12歳くらいですね。そしてニュージーランドでは13歳から高校になるので、そのまま高校でもラグビーを続けました。
――その時からスタンドオフでしたか?
いえ、13番(センター)とウィングをやっていました。高校卒業後はオタゴ大学に入って、2006年にセンターからスタンドオフになりました。そのチームではスタンドオフ不足で、チームとしても私だったらできるのではないかという思いもあり、スタンドオフに変わりました。
――プレースタイルが違うと思うのですが、スムーズにスタンドオフでプレーできましたか?
周りのコーチ陣が素晴らしい人たちばかりだったので、スタンドオフとしてもプレーできるようになりました。スタンドオフをやることによって、センターの選手がスタンドオフに何を求めてことがすごく学べたので、自分にとって非常に勉強になりました。
――大学卒業後、すぐにプロ選手になったのですか?
2009年に大学を卒業したのですが、大学在学中にハイランダーズから声が掛かりプロになりました。在学中にプロ選手になる人は結構多いですね。ラグビーをしながら大学にも通っていたので、卒業には時間がかかってしまいましたが、最終的に卒業できたので良かったです。
――プロでラグビーをしようという思いは、いつ頃から持ち始めていたのですか?
21、22歳の時ですね。多くの選手は、各年代の代表チームを経験して、スーパー14のチームに入っていくことが普通ですが、私は各世代での代表には入っていなかったので、スーパー14のチームには入れないだろうと思っていました。運よくハイランダーズから声が掛かったので、その時からプロでラグビーをしようと思いました。ハイランダーズでは2年間プレーしました。
――2008年からはチーフスでプレーされましたね
ハイランダーズではポジションを確保されている選手と、ドラフト枠の選手がいます。私はドラフト枠の選手でしたが、チーフスから声を掛けてもらい移籍しました。
――2009年のパシフィックネーションズカップでは、ジュニアオールブラックスとして日本代表とも試合をしていますよね。その時の日本代表の印象はいかがでしたか?
毎年強くなっていると感じました。色々な外国人のコーチなどが指導しているので、その影響から強くなっているのではないかと思っています。
――チーフスからキヤノンへ移籍するきっかけは何だったのですか?
ジュニアオールブラックス、ニュージーランドマオリ、あとスーパー14で5年間プレーしてきて、ニュージーランドで成し遂げた結果に満足していました。その時にキヤノンから声が掛かり、直接佐藤(一弥)GMや永友(洋司)ヘッドコーチなどと話をして、キヤノンが成し遂げようとしている想いを聞いて、非常に興味を持ちました。そして新しい国に来て、新しい文化や言葉を学んで自分を試す絶好のチャンスだと思い、キヤノンに来ることを決めました。
カラム・ブルース選手(左)とトマシ・ソンゲタ選手(右)
――来日前に日本についての知識はありましたか?
日本に来る前に日本語のレッスンを受けていて、少しだけ日本について教えてもらいましたが、まだ深くはわかりません。
――初めての海外生活、それもあまり知らない土地に来るということで、不安はありませんでしたか?
新しい発見をする楽しみの方が大きかったので、不安は殆どなかったですね。日本の生活に慣れ、言葉と文化を学び、色々な人と出会い、色々な街を見て、早く日本を知りたいですね。
――トマシ・ソンゲタ選手と同い年で、同じオタゴ大学出身ですが、一緒にプレーはしていましたか?
オタゴ大学のU-19で一緒にプレーしていました。その時から大きくて、速くて、黒かったです(笑)。今も変わらず破壊マシーンですね。
――お互い若い時から知っているチームメイトがいるというのは心強いですね
彼がいてくれて良かったと思いますが、マノ(ロマノ・レメキ)やアルベルト、他の選手が仲良くしてくれて、温かく歓迎してくれました。あと他のチームにも友達がいるので、日本での生活は大丈夫だと思います。
――トップイーストでは外国人選手枠が2人なので、チームメイトとの激しい戦いになりそうですね。
試合に勝つためならば、どんなことでも受け入れます。例え自分が選ばれなくても、それがチームの勝利のためであれば受け入れます。
――キヤノンでの目標は何ですか?
自分がこれまでに培ってきた経験や技術を、できるだけみんなに伝えていきたいですね。外国人選手にはそういう役割も求められていると思うので、自分がプロとしてやってきて積み上げてきたものを皆に分け与えたいと考えています。もし試合に出られた時には、キヤノンスピリットを持って自分のベストを尽くしながら、楽しんでラグビーをやりたいです。
――キヤノン イーグルスのファンに向けてメッセージをお願いします
メンバー全員がキヤノンスピリットを持ちながら必死に努力して頑張っています。試合を見に来てもらえれば、絶対楽しくて皆さんに喜んでもらえるような試合ができると思います。応援よろしくお願いします。