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選手インタビュー

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選手インタビュー vol.17 アリシ・トゥプアイレイ2010年12月 1日

キヤノン ラグビー フットボール クラブ 選手インタビュー
vol.17 アリシ・トゥプアイレイ(Alisi Tupuailai)『出場する試合は全て父に捧げる』


◆現在

――リーグ戦が終盤を迎えていますが、調子はいかがですか?

チームとしては、試合を重ねるごとに調子が上がってきています。個人的にも非常に調子がいいですね。新しいチームで新しい目標に向けて順調にきていて、チームの調子が良いと、自分の調子も良くなりますね。

アリシ・トゥプアイレイ選手

――リーグ戦の途中で日本代表の試合にも出ていましたが、コンディションの維持は難しくなかったですか?

日本代表に参加していることは、自分にとってプラスになっていることが多く、コンディショニングに関しても問題はないのですが、キヤノンに戻ってからパフォーマンスの調整をするのが少し難しいですね。日本代表はゲーム感覚などに優れた選手が集まっていますが、キヤノンはまだ成長過程の選手が多いからです。ただ成長がすごく速いですし、各週の試合でも成長をしているので、キヤノンの選手から学ぶこともあり、楽しくプレーしています。

――キヤノンはトップリーグを目指して頑張っていますが、トップリーグのラグビーはどのように違うのですか?

トップイーストやトップウエストでは3回ミスしても、5回のチャンスがあるかもしれませんが、トップリーグでは1回のチャンスがあるかどうかの世界です。そのチャンスをモノにできなければ、それで勝敗が決まるくらい厳しいのがトップリーグです。そういうところで戦うことに備えて、いまから基礎的なトレーニングを怠ってはいけないと思います。
いまトップイーストリーグでは大差で勝利する試合が多くあるので、そこを勘違いしてしまいがちになります。トップリーグに上がれば、楽な試合なんて1試合もありません。いままで日本人の特性を見ていて思うのですが、勝ち癖がついている時に負け始めてしまうと、一気に意気消沈してしまいます。そうなった時に、パフォーマンスが下がって、本来のゲーム展開が出来なくなってしまいます。ただ今のところキヤノンは良い勝ちパターンできているので、このまま勝ち続けたいと思います。

――トップリーグを経験していない選手に対して、練習中にどういうアドバイスをしているのですか?

ラグビーはボールをもらって走ったり、パスしたりタックルしたり、という基本的なプレーをしっかりと身につけないといけません。ラグビーとはシンプルなことをいかに完璧にできるかというスポーツなので、そこをしっかり出来れば、得点に繋がってくると思います。それと、大きな舞台に上がった時に、今までやったことのない無理なプレーをやってしまうことがあります。自分から出来るアドバイスというのは、「基礎をしっかり身につけて、その基礎を100%遂行しろ」ということですね。その上で自分の持っている才能が出せれば、他の選手とは違うプレーが出来ると思います。

アリシ・トゥプアイレイ選手

◆少年時代

――ラグビーは何歳の時に始めたのですか?

6歳です。エネルギッシュな子供で、従兄(いとこ)にラグビーの試合に連れて行ってもらって、一瞬で惚れました。その時は周りの子供たちが小さかったので、1つ上の学年の友達と一緒にラグビーをするようになりました。小さい子供がラグビーをする時は、タックルじゃなくてタッチをするのですが、それが嫌で、上の子たちとラグビーをしていましたね。

――小さい頃から体は大きかったのですか?

特別に体が大きいわけではなかったのですが、運動神経は高かったと思います。それにカンタベリーでもそれぞれの年代の代表にも選ばれていました。

――上の学年の子供たちとラグビーをして、負かされるということはなかったですか?

4歳上の兄がいますが、兄といつも家で遊んでいて、「俺に勝てればいつもラグビーをしている奴らには負けない」と言われていました。学年が1つ上の子たちは歳が2つ上でしたが、いつも兄にしごかれていたのでまったく問題はなかったですね。それと上の子たちにタックルをされないようにステップをしてかわしていたので、そこからステップをすることを学びました。

――お兄さんは今でも怖いですか?

今はラグビーをしていませんが、いまだに怖いですね(笑)。

――アリシ選手は小さい時からバックスでプレーしていたのですか?

最初のころはフォワードでもプレーしていましたが、10歳以降はずっとバックスですね。

――他に何かスポーツをしたことはありますか?

小さい時はボクシングをやっていました。ただ父には内緒でしたね(笑)。あと野球とバスケットをしていました。

――その中でもラグビーが一番おもしろかったのですか?

国技でもありますし、そこに対する情熱は持っています。ただバスケットも面白かったので、ラグビーかバスケットでしたね。友達と一緒にラグビーをやると、自分だけがズバ抜けていたので、みんなで一緒にラグビーをする機会が少なくなりました。周りのみんなが野球やバスケットをやっていたので、一緒にやっていましたが個人的にはラグビーが一番ですね。

――以前、トマシ・ソンゲタ選手やカラム・ブルース選手が、子供のころは裸足でラグビーをしていたと言っていましたが、同じように裸足でラグビーをしていたのですか?

同じです(笑)。20数年前ですので、スパイクを履くということはなかったですが、怪我をしたことはありませんでした。スパイクを履いてラグビーをするようになってから、朝の8時から練習をしていたのですが、冬の朝は霜が降りて、倒れるとガラスにぶち当たっている感じでした。そういう面で、その頃の練習は苦しかったですね。

――そういう環境が今の力強さに繋がっているのですね?

そうですね。それと、父の存在が気持ちを高ぶらせてくれました。今まで一度もパフォーマンスの良し悪しを言ったことはありませんが、どんなに天候が悪くても、必ず試合を見に来てくれました。ただ単に成功を願ってくれていましたね。高校に入って、道を外れてトレーニングをさぼった時があったのですが、その時は今までで一番きついお仕置きを受けました。その時初めて、自分のためだけではなく、家族のためにもラグビーをやっていくことに気付きました。厳しい父でしたが、家族のために全てを捧げてくれた人だったので、尊敬する父のためにラグビーをする、という思いがあります。
今でも覚えていますが、初めて試合に出た後に1回だけ「グラウンドで泣き言をいうようなことがあったら、一生ラグビーをやらせない」と父に言われたことがありました。10歳の時に指を折ったことがあるのですが、その時も泣き言を言わずにラグビーをしていました。周りからは「頭がおかしい」と思われていましたね(笑)。試合中に怪我をしてコーチに止めろと言われても、試合の途中で外に出たら、父から「何故だ?」と言われるので、隠してプレーしていました。小さい頃から「あいつはヤバイ」と評判でした(笑)。

◆日本へ

――ずっとニュージーランドでプレーしていて、7年前に日本に来たわけですが、その時はお父さんから何か言われましたか?

父はいつも「自分の思っていることに従え」と。当時のコーチたちにも相談しましたが、「ニュージーランドに残ってオールブラックスを目指してはどうか」と言われました。ただその時にはもう子供がいて、オールブラックスに入りたいということよりも、家族への思いが強かったですね。ラグビーに対して情熱を注いでいても、オールブラックスに入ることが自分の最大の喜びではありませんでした。各年代のオールブラックスには入っていていましたし、どのチームでプレーしようが自分のやることは変わりません。
当初はプレーするチームを日本に限定していたわけではなく、ヨーロッパでプレーすることを考えていました。その時に日本の話が出てきて、日本でプレーすることを考えるようになりました。いまでは日本が好きですし、日本人も好きです。だからこそ7年間も日本にいるわけです。日本のホスピタリティは世界一だと思います。ニュージーランドには家族がいますが、日本にも仲間がいますので、どちらにいても変わりません。

――ニュージーランドにいる時から日本のことは知っていましたか?

12、3歳の時に学校に日本人の友達がいました。その友達のお父さんがラグビー好きで、私のことも知っていました。色々な国籍の友達がいましたが、その日本人の友達の家族だけはいつも試合を見に来てくれたので、よく覚えています。その友達に、「将来ラグビー選手になったら日本に来て、日本のラグビーの発展に力を貸してくれ」と言われました。そんな約束をして、日本でプレーするという話が来たときに、一番にその友達のことを思い出しました。

アリシ・トゥプアイレイ選手

――日本に来て、ラグビーや文化の違いに慣れるのは大変でしたか?

外国人選手は誰でも1年目は大変だと思います。そこはその選手の適応力だと思いますし、早く慣れるということも選手としての力量だと思います。選手の他にもコーチ陣に関しても、ニュージーランドほど経験がありませんし、日本独自で発展したラグビーの中に入っていくことは難しかったですね。

――その中でストレスもあったと思いますが、どうやって発散していたのですか?

ラグビーをしている時はラグビーのことだけを考えて、オフになれば逆にラグビーのことを一切考えないようにしますね。そうすれば自然とリラックス出来ます。

アリシ・トゥプアイレイ選手

――日本で好きな場所はありますか?

京都ですね。何回も行っていますし、何回行っても飽きないですね。日本のお寺が好きです。清水寺などは素晴らしいですね。

キヤノン

――ホンダヒートに6年間いたわけですが、キヤノンに移籍するきっかけは何だったのですか?

6年間在籍し、自分にも変化が必要だと思いました。それに環境を変えて、新たなチャレンジをしたかったのでキヤノンに来ました。チームを離れることよりも、チームメイトと離れることが辛かったですね。仲間であり家族のような感じでしたから。

――現在のキヤノン状況は予想出来ていましたか?

昨年の順位が8位で、そんな中でキヤノンから話が来ましたが、次のシーズンに向けてどういう外国人選手が入ってくるのかを知った時に、本気でトップリーグを目指していると感じました。その時はトップ3を目指すと言われていましたが、トップ3以上の成績が残せるだろうと感じましたね。

――実際にチームに入ってプレーしてみて、思った通りのチームでしたか?

期待どおりですね。

アリシ・トゥプアイレイ選手

――現在のチーム状況で、さらに上を目指すためには何が必要だと思いますか?

今は大差で勝つ試合もあり、本当に苦しい試合を味わっていません。先日の日野自動車との試合で、フォワードが押されていたことがありましたが、フォワードはバックスにとって重要な存在であり、フォワードから良いボールが出てこないとバックスは前に行くことが出来ません。トップリーグのフォワードはどのチームも強いですし、先ほども言った基礎の部分がしっかりしていないと、厳しい試合になると思います。自分たちは「常にチャレンジする」という気持ちで試合に臨むことが大切です。そうすればいいパフォーマンスが出せると思います。

――日本で活躍しているアリシ選手の姿を、お父さんは見たことがありますか?

自分が日本に来て1年目の時に亡くなってしまいました。ラグビーを始めたこと、そして日本に来るきっかけになったのも父でしたから本当に辛くて、1年でニュージーランドに帰ろうと思いましたが、最後に話した時に「自分が死んだからといって、ニュージーランドに帰ってくるな」と言われました。だから出場する試合は全て父に捧げています。

――来年、ニュージーランドでラグビーのワールドカップが開催されますが、そこで日本代表として試合をすることは大きな目標ではないですか?

あまり先のことまでは考えていません。いまの自分の目標は次の試合で100%の力を出すことです。そして細かいことをやっていれば、大きいことはその後から付いてくるものだと思っています。それはラグビーでもラグビー以外のことでもそうだと思っています。

アリシ・トゥプアイレイ選手

――では最後にファンへメッセージをお願いします

皆さんの応援が非常に素晴らしくて、本当に有り難く思っています。もっとファンの方との交流もしたいと思っていますし、自分たちが良いパフォーマンスが出せているのも応援のおかげだと思っています。これからもっともっと皆さんを魅了できるようなラグビーを目指していきます。出来るだけ会場に足を運んでいただき応援をよろしくお願い致します。