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キヤノン イーグルス 公式サイト|スタッフレポート

選手インタビュー

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選手インタビュー vol.28 山本 貢2011年7月 7日

キヤノン イーグルス 選手インタビュー
vol.28 山本 貢『新しい環境でチャレンジしたい』


◆クロスバイクで90km

――まだチームに合流して間もないですが、調子はいかがですか?

慣れるまでに時間がかかるタイプなので、まだ本調子ではありませんね。

――キヤノン イーグルスの雰囲気はいかがですか?

みんな若くて元気があるので、これからもっと良いチームになっていくと思います。三洋電機(現パナソニック)で一緒にプレーしていた選手も何人かいるので、助かっています。

山本 貢選手

――同じタイミングで移籍した田井中啓彰選手は大学からずっと一緒ですよね

田井中とは仲が良くて、僕が料理を作って一緒に食事をしたりしていたので、今回一緒に移籍したのは、気持ち的にも楽な面がありました。

――オフの日などはどのように過ごしていますか?

前のチームにいた時は、スーパーカーを見に行ったりしていました。あとクロスバイクで街を走ったりしています。以前、4~5時間で約90km走ったことがあります。いろいろなところを見て回れたので面白かったですね。ただ最近はあまり時間がないので、家で犬と遊ぶくらいです。

――クロスバイクに乗ろうと思ったきっかけは何でしたか?

前のチームにいた時に、埼玉の熊谷から太田に通っていました。片道17kmの道を週3回くらいトレーニングとして自転車で通い始めたのがきっかけですね。最初は折り畳み自転車だったので大変でした(笑)。いまも片道15kmのところに住んでいて、有酸素運動ができているので、良いトレーニングになっています。

◆コミュニケーションが大切

――以前所属していたパナソニックワイルドナイツは、トップリーグや日本選手権で何度も優勝していますが、その強さとは何だと思いますか?

1人1人の意識が高いことと、貪欲さですね。僕が入った頃、順位は真ん中辺りでしたが、どんどん良い選手が入ってきて、勝ちたいとかもっと強くなりたいという欲求が強くなってきて、選手同士でコミュニケーションを多くとっていたと思います。

山本 貢選手
三洋電機(現パナソニック)時代

――優勝してもその欲求は衰えませんでしたか?

満足してシーズンが終わることがほとんどありませんでしたね。勝った試合の後でも、あの時にもっとこうすれば良かったとか、反省点が出てきます。

――そんな時はどういう形で良い方向に向かわせていましたか?

やはりコミュニケーションです。お互いに次はこうしていこうと話しますが、すぐにはうまくいかないので、徐々にお互いの良さを理解していくことで、チームとしても良くなっていくと思います。

――スローイングについてはいかがですか?

スローイングもジャンパーとリフターなど、個人やチームの特色があるので、最初の頃はなかなかタイミングが合わないこともあります。それについてもコミュニケーションが大切で、キヤノンではまだイメージの違いがあるので、これから良くしていきたいですね。

◆もっと良いプレーヤーになれる

――社会人での経験の中で、今まででいちばん記憶に残っている試合は何ですか?

2007-2008シーズンのマイクロソフトカップ(現プレーオフトーナメント)の決勝でサントリーに負けた試合ですね。リーグ戦は全勝でしたが、マイクロソフトカップの決勝だけ負けてしまいました。僕の出来が良くなくて、本当に悔しかったのを覚えています。

山本 貢選手

――そのシーズンの日本選手権決勝ではサントリーに勝ち、優勝しましたね

負けた悔しさがバネになっている部分もありましたが、僕個人としては満足できない内容の試合でした。

――パナソニックワイルドナイツはディフェンスが強いと言われますが、練習でもディフェンスに力を入れていましたか?

ディフェンスの練習は多くやっていて、すごく勉強になりました。キヤノンではアタックに力を入れて練習しているので、多くのことを吸収して、ディフェンスとアタックが融合できれば、自分自身もっと良いプレーヤーになれると楽しみにしています。

◆扁桃腺

――2007年ラグビーワールドカップ直前にケガで日本代表を離れてしまいましたが、その時の心境はいかがでしたか?

悔しいというか空しいというか、すごく変な感情でした。ケガをしてすぐ帰国していればまた違った気持ちだったかもしれませんが、何日間か帯同していたので、何とも言えない感情を抱いていました。あと数週間でワールドカップでしたからね。

――その年のワールドカップの試合は見ましたか?

山本 貢選手
大学時代

見ましたが、複雑な心境でしたね。出場したかったという思いやケガをしたのは自分の責任という思いがありました。その前のワールドカップでも、もっと頑張れば出場できていたかもしれないなどと、いろいろと考えてしまいましたね。

――初めて日本代表に召集されたのはいつですか?

2002年で大学生の時でした。翌年にワールドカップを控えていた年でしたが、またケガをしてしまい、ワールドカップには出場できませんでした。

――日本代表の合宿ではいかがでしたか?

初めて招集された時に精神的にやられて、扁桃腺が腫れてしまいました。日本代表の合宿では寝込んでいました(笑)。病弱になってしまうので、社会人1年目の時も大変でしたね。それに学生の時にニュージーランドに留学をしましたが、胃腸炎になりました。プレッシャーを感じるというわけではなく、精神的につらくなっていましたね。

――高校や大学に入学する時も同じような症状が出ていたのですか?

高校で県外の学校に行ったので、慣れるまでにすごく時間がかかりました。ホームシックにかかっていたと思います(笑)。高校の時から扁桃腺が腫れやすくなって、大学の時も社会人1年目でも扁桃腺が腫れました。いまキヤノン1年目ですが、大人になった分、今のところ大丈夫です(笑)。

◆昇格してどれだけ活躍できるか

――ラグビーを始めたのはいつですか?

中学2年生くらいの時に遊ぶ感覚で始めて、高校から本格的に始めました。当時、赴任してきた先生がもともとラグビーをやっていて、県のラグビーチームにも関わっていたので、それでラグビーをするようになりました。ここまで続けられるとは思ってもいなかったですよ。

――ラグビーの面白さは何だと思いますか?

難しいからもっと理解しようとしたり、もっとうまくなりたいと思ったりするので、そこが面白いところだと思います。

山本 貢選手
高校時代

――ポジションはずっとフッカーですか?

大学の時に一度ナンバーエイトをやりましたが、ほぼフッカーですね。細かな技術や役割がいろいろあるので、自分にはフッカーが合っていると思います。

――キヤノンに移籍するきっかけは何だったのですか?

キヤノンから声を掛けてもらい、熱意が伝わってきて、何とか力になりたいと思いました。そして僕も新しい環境でチャレンジしたいと思っていたので、田井中と相談して決めました。

――今の目標は何ですか?

トップリーグに上がるということはチーム全員が思っていることなので、どういう形で昇格するか、昇格してどれだけ活躍するかというところにターゲットを置いてトレーニングしていきたいですね。ファンの方々にはぜひ会場に来てラグビーを楽しんでいただければと思いますので、応援よろしくお願いします。

山本 貢選手