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キヤノン イーグルス 公式サイト|スタッフレポート

選手インタビュー

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選手インタビュー vol.34 鷹クロフォード アストン2012年5月21日

キヤノン イーグルス 選手インタビュー
vol.34 鷹クロフォード アストン 『とにかく結果を出すことが一番大事』


鷹クロフォード アストン選手

――簡単に自己紹介を

生まれはニュージーランドのウェリントンですが、9歳までワインで有名なヘイスティングスに住んでいて、その後オークランドで育ちました。今32歳です。

――ラグビーを始めたのは

5歳の時、小学校に入った年にノースラグビークラブに入って始めました。クラブチームに入る前から、近くの公園でラグビーをして遊んでいましたし、ラグビーがすべてだったので、自然に始めていました。


鷹クロフォード アストン選手

ラグビークラブのメンバーと(中央、7歳)

――いつ頃からラグビーの魅力を感じた

高校の最終学年の頃、17歳くらいだったと思います。学校はセカンドディビジョンの高校だったので、それほど強くはなかったのですが、でも学校としては非常に有名でした。というのも、勉強、スポーツ、文化活動など全ての部門の統合で、世界一と認められた学校だったからです。5年間(※)の内4年間1st 15(一軍)で学校を代表してプレーすることを非常に誇りに思い、一生懸命プレーしていました。でも、学校に入る時はそこまでラグビーをやるとは思っていませんでした。
※ ニュージーランドでは、Primary Education(初等教育)が5歳~12歳の8年間、Secondary Education(中等教育)が13歳~17歳の5年間

――高校卒業後、なぜ日本に来たのか

拓殖大学の当時の監督だった榎本監督が、オークランドの高校の選手たちに会いに来て、話しを伺いました。それまでは日本のことは殆ど知らなかったので、母親に相談したところ、「日本語を勉強すれば将来の仕事に役に立つ」とアドバイスしてくれて、ならば日本に行って頑張ってみようと。もし駄目だったら何時でも帰ってくればいいと思い、それで決めました。その時点では、ラグビーより日本語や日本の文化を勉強するのが一番の目的でした。

――日本に来て第一印象は

最初に出かけたのが渋谷だったのですが、高いビル、ライト、大きな街頭TV、ものすごい数の人などに本当に驚きました。しかも渋谷の他に新宿、池袋などの大きな町がたくさんあり、とにかくオークランドとはすべてのスケールが違って、東京はすごい所だと思いました。

――毎日の生活は

東京の茗荷谷に一人で住んでいました。学校のルールで外国人選手は、1年目は日本語の勉強をして、2年目に留学生試験にパスしないと入部できませんでした。それまでは朝9時から夕方5時半まで毎日勉強で、しかも一人暮らしだったので、ちょっと退屈な時もあったのですが、入部して寮生活になった後は、ずっと面白くなりました。みんな英語を話せなくて、最初はコミュニケーションに少し苦労しましたが、2段ベッドの6人部屋でみんなと生活し、時々一緒に出かけて焼き肉やカラオケに行っていました。プライバシーは殆どありませんでした。


鷹クロフォード アストン選手

拓殖大学時代(中央、4年時)

――ラグビーはどうだった

入部した時は関東大学リーグ戦の2部で、1部昇格を目標に頑張っていました。1年目に入替え戦に出場を果たしましたが東海大学に負けて、次年度また東海大学に負けて、非常にストレスを感じました。1部に行けないなら、もうやめてニュージーランドに帰ろうと思った時もあったのですが、監督に止められて続けました。ところが3年目も入替え戦で今度は日大に負けました。2003年~2004年、最後のシーズンの入替え戦で山梨学院に勝って、ついに1部に昇格しました。目標を達成できて本当に嬉しかったです。

――ニュージーランドには結局帰らなかった

4年生の始めの頃は、卒業したら帰ろうと思っていましたが、4つの社会人チームから誘いがあり、嬉しくなって気が変わりました。4つのチームの中から、先輩や知り合いの多いトヨタ自動車に決めました。

――トヨタで4年間プレーした

4年間のトップリーグでの経験はすごいものがあり、自分を成長させてくれた4年間でした。


鷹クロフォード アストン選手

三菱重工相模原時代
(右、2009/10/25キヤノン戦)

――その後、三菱重工相模原(以下三菱重工)に移籍した

実は東京に結婚したい彼女がいて、東京のチームを探していた時に、三菱重工からいいオファーをもらいました。三菱重工の選手やスタッフ達も知っていたので楽しめると思い、移籍を決めました。そしてその年に結婚しました。

――その後、NTTコミュニケーションズへ

三菱重工での2年の契約が終わり、2010年に帰化してNTTコミュニケーションズへ移籍しました。ちょうどトップリーグへ上がろうとしている強いチームだったので、またトップリーグで頑張れると喜んでいたのですが、入替え戦の前の試合でアキレス腱を切って、復帰に10ヶ月掛かりました。結局NTTコミュニケーションズでは最後の5試合しか出られず、契約も1年で終了となってしまいました。

――キヤノンについて

キヤノンの話をいただき、トップリーグでまたプレーできること、東京のチームであることなどから移籍を決めました。自分のレベルアップを図るためにも、課題であるフィットネス上げて、これまでの経験を活かしていきたいと思っています。まだ新しいチームなので、ラグビーを知らない人がたくさんいると思います。だからこそ結果を出して、キヤノンの中でラグビーの人気が上がるように頑張っていきます。


鷹クロフォード アストン選手

――今年の目標は

とにかく結果を出すことが一番大事です。そのために自分のコンディションを高めなければなりません。フィットネスやスキルを高めて怪我をせず、若い選手にアドバイスして、チームにエネルギーを注いで、雰囲気を高めていきます。新しい選手も入ってきたので、コミュニケーションをとりながら、今はトレーニングに集中してレベルアップを図っています。

――最後にファンへ

キヤノンのファンが熱心なのは、前に試合で見て知っています。今年からトップリーグで試合をするので、毎試合、必死にプレーをしないと勝てない相手ばかりです。自分はそのために、練習の中からプラスになるように頑張ります。ファンのみなさんも是非試合を見に来て、今まで以上に応援をしてください。宜しくお願い致します。