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キヤノン イーグルス 選手インタビュー vol.40 福居 武
『自分でゲームメイクして、チームを勝たせたい』
職場での様子
――キヤノン入社、そしてキヤノン イーグルスに入部した今の心境は
素晴らしい環境で本当に嬉しく思っています。ウェイトとフィットネスの練習は、本当に厳しくて強度もかなり高いのですが、なんとか頑張っています。
――配属は
イメージコミュニケーション事業本部です。今は毎日カメラなどの製品について、担当の方から教えて頂いています。皆さんラグビーの話もしてくれて、「頑張れ」「試合に行くよ」と言って下さるので、早く試合に出たいです。
小学生時代
――ラグビーを始めたのは
姉2人の3人兄弟なので、父親に「根性付けて来い」ということで、父の知り合いのチームに連れて行かれたのが最初です。小学校2年からクラブチームで始めたのですが、東大阪はクラブチームが多いので、試合もずいぶんやりました。その頃から弱いチームを引っ張っていくのが楽しかったです。
――初めてやったラグビーはどうだった
スクラムハーフだったのですが、塊の後ろをついて行くだけで、何をすれば良いのか分かりませんでした。
――いつころから面白くなった
小学校5年生の頃、ラグビーが面白くないと感じた時期がありました。そんな頃一度、友達と一緒に野球を始めたのですが、3週間でラグビーに戻りました。ラグビーで相手を抜くのが好きで、そういう感覚が野球には無いのと、やはりラグビーの方がセンスがあるということもその時分かりました。
中学時代
――迷わず中学でも続けた
中学の部活でラグビーを続けました。ちょうど自分の他に5人くらい強いメンバーが入ってきたので、チームが急に強くなり、2・3年生の時には近畿大会を連覇しました。木津さん(神戸製鋼)が一級上にいました。ずっとスクラムハーフだったのですが、ウィングをやりたくなって調子に乗ってやってみたのですが、足の遅さと体の細さで駄目で、すぐにスクラムハーフに戻りました。その頃からスクラムハーフが面白くなりました。
――スクラムハーフというポジションについて
一番走らなければならない辛さと、一番ボールに触れることにより自分で何かを作り出せる楽しさ、の両面があるポジションです。とにかくトライを取るのが好きだったので、パスダミーから自分でボールを持ち込むプレーを、その頃からやっていました。
高校時代
――花園に一番近いはずの啓光学園へ進学した
ちょうど4連覇して5連覇を目指した年に入学しました。花園に絶対行けると思って、啓光学園を選びました。
――地獄の1年目
1年目はとにかく地獄のような毎日でした。上下関係は厳しく、タックル2時間、走り込みは当たり前で、本当に1年目はしんどい思い出しかありません。
――転機が訪れた
部員は100人ほどいました。1年では試合には出られなかったのですが、1年の終わりにニュージーランドのクライストチャーチにある姉妹校のセントビーズ高校に、半年間ラグビー留学しました。年に2人だけ行けるのですが、それに指名され、それをきっかけに変わりました。リーグ戦で毎週試合があったのですが、試合経験を積み重ねてコンタクトの厳しさなどを体験できたことで、日本に帰ってからプレーに余裕ができました。
――ニュージーランドの選手との違いは
向こうの選手は練習から常に本気で、ラグビーに本当に熱い。とにかくラグビーが好きなので、厳しい練習もやらされている感がないところだと思います。
――帰国して何が一番変わった
帰国後すぐに仙台育英高校との試合に出て、留学の成果を試されたのですが、人に強くなったことと、前を見て自分が前に出てパスすることを覚えてきて、上手くアピールできました。結局、その試合から卒業するまでレギュラーになれました。ボールを捌くだけのスクラムハーフにはなりたくなかったので、かなり成長できたという実感がありました。
――3年でバックスリーダーになった
3年の時も結構強かったのですが、大阪工業大学高校(現常翔学園)に負けて、花園出場の夢を断たれました。花園まで家から自転車で10分なのに行けなかった。近くて遠いのが花園だと思いました。
――大学は
早稲田に行きたかったのですが落ちてしまい、大阪体育大学に進学しました。
大学時代(右)
――大阪体育大学ラグビー部の印象は
1年から試合に出て頑張りました。4年の時はラグビーを楽しめましたが、チームは強くなりきれず悔しかったです。今思うと、練習に必死に取り組めていなかったと思います。結果としては不完全燃焼でしたが、友人を得られたのは何事にも代えがたい4年間でした。
――ベストゲームは
4年生の時の関西学院大学戦です。この試合の日は雨の予報だったので、雨用の作戦を立てて試合に臨み、それが本当に上手くいった試合でした。関西学院には3年間負けていたので、最後の年に勝つことができて嬉しかったです。
――キヤノンに入った経緯は
3年の夏に声を掛けて頂きました。キヤノンは良い会社ということはもちろんですが、やはり監督が永友さんということで、すぐに行きたいと思いました。
――永友監督について
子供の頃から映像で見て知っていましたし、強烈な印象が残っていました。同じポジションの憧れの方に教えて頂けるということで、キヤノンでプレーできるのは本当に嬉しいです。
――大学時代にU-20に選ばれた
それで声を掛けて頂いたと思っています。そういう意味では良かったのですが、試合は同期の滑川(帝京大学-トヨタ自動車)が殆ど出ていました。でも滑川のプレーには僕も学ぶ点がかなりあるので、彼はライバルでもあり尊敬している選手で、仲の良い友達でもあります。
――トップリーグの選手になった
早くトップリーグの試合に出て活躍して、チームに貢献できるように頑張りたいです。自分でゲームメイクしていくことが好きなので、先輩でも遠慮せず、チームを引っ張れるようなプレーをしたいと思っています。
――自分のプレーとは
誰も想像できないようなトリッキーなプレーです。自分の経験から、そういったプレーが良い方に転がることが多いので、大舞台でも思い切って自分らしいプレーをどんどんやってみたいです。
――最後にファンへ一言
自分は新人ではありますが、試合に出てチームを勝たせたいと思っています。全力で頑張ります。
職場の皆さんと