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キヤノン イーグルス 公式サイト|スタッフレポート

選手インタビュー

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選手インタビュー vol.41 ロッキー・ハビリ2012年6月22日

キヤノン イーグルス 選手インタビュー vol.41 ロッキー・ハビリ
『キヤノンに良い影響が与えられるよう、100%の力を出していく』


ロッキー・ハビリ選手

――生まれはトンガ王国ですね。トンガはどんなところですか?

トンガはすべてがOKという感じで、ミスや間違えがあっても許してあげるのが普通です。例えば遅刻もOKで、時間にはあまり気を遣いません。怒ったりイライラしたりしないで、心地良い生活をすることを大切にします。自分がオークランドに移った時、ニュージーランドの人々が時間を気にするのには驚きました。一方で、主な産業が農作物の生産なので、経済的には恵まれているとは言えません。日本、ましてや東京とは本当に違うところです。

――ニュージーランドに移ったきっかけは?

より良い教育を受けさせたいという両親の希望に従い、12歳の時にニュージーランドのオークランドへ移りました。既にオークランドには兄弟がいたので、家などの問題はありませんでした。トンガも良いところなのですが、前に向かって何かをするには、違うところで冒険する事が必要だというのが両親の考え方でした。そしてより良いライフスタイル、教育などを求めていました。あと、トンガではティーンエイジャーによる暴力やお酒などに纏わる問題が多く、そういう環境から抜け出すのもニュージーランドへ移ったもう一つの理由です。

――すぐにラグビーを始めたのですか?

すぐに始めました。実はトンガでは、弱い人を助けられる強い男になるため、小さい頃から父に薦められてボクシングをやっていました。でも周りにはラグビーをやっている友達がたくさんいて楽しそうだったので、ボクシングをやめてラグビーを始めることを父に許してもらい、ラグビーを始めました。確か8歳の時です。その時から足が速くコンタクトに強かったので、ラグビーは楽しかったですね。そういう理由でニュージーランドへ行ったときにはラグビーのルールも知っていましたし、すぐに学校のチームでラグビー始めました。

――ニュージーランドでのラグビーは、トンガとは違っていましたか?

とても違っていました。例えばニュージーランドではハイタックル(肩より上へのタックル)はもちろん反則ですが、トンガではOK。ニュージーランドで最初にハイタックルでペナルティを取られた時は「なんで?」と聞き返しました。でもコンタクトに関しては殆ど変わらず、どちらかというとトンガの方が強いと感じました。トンガ人は体が強く大きいですし、トンガスタイルのラグビーはラフで、しかもレフリーの見えないところで平気で反則するようなところがありますが、それはすぐニュージーランドスタイルに変えました。


ロッキー・ハビリ選手

――長いラグビー人生で一つの転機になりましたね

若いころはラグビーが仕事になるとは考えもしなかったのですが、オークランドで選抜に入るようになってから、ラグビーに対する考え方が変わってきました。というのもラグビーに必要な用具を与えてもらえるようになり、それがあるレベル以上になると当たり前だということを知って、真剣に取り組むようになりました。もうひとつは21歳の時に怪我をして、復帰に2年かかったことがありました。その時に道を誤りそうになったのですが、これではいけないと改心して復帰してからは、もう一度真剣にプロ選手として頑張ろうという気になりました。

――夢はトンガ代表?

既にニュージーランドと契約をしていたので、それは難しかったのですが、実は父が警察官だったので、自分も警察官になって、困った人を助けられる人になりたいという夢がありました。それは今でも同じで、ラグビーが終わったらニュージーランドで警察官になりたいと思っています。トンガは仕事が終わってリタイアしたら戻る場所、という風に考えています。

――その後日本でプレーをすることになったのは?

自分のエージェントがサントリーでプレーをしていて、彼の紹介を通じてサントリーでプレーすることになりました。2007年です。2009年まで2シーズンをサントリーでプレーしました。

――サントリーではどうでしたか?

色々な違いがありましたが、まずは走る練習の多さには参りました。当初108キロあった体重が2ヶ月で102キロになりました。ニュージーランドではコンタクトを重視していたので、体重はある程度あった方が楽だったのですが、日本の選手は体が引き締まっていてとにかく走るラグビー。サントリーの練習に慣れるのに2ヶ月かかりました。でも体重が6キロも減って、フィットネスもスピードも上がったのはよかったです。試合にも出られたですし、素晴らしい仲間とも出会えた充実の2年間でした。


ロッキー・ハビリ選手

――その後リコーに移籍しました

サントリーは本当に素晴らしいチームで、残りたい気持ちがありましたしチームからも残るように言って頂きましたが、リコーから良い条件を頂いたこと、そして以前オークランドで一緒にプレーした二人の日本人選手がリコーにいたことが理由で、移籍を決意しました。家族の事なども考えた決断でした。

――リコーではいかがでしたか

サントリーが大きな選手を主体とした戦略に対し、リコーは平均的な体格の選手が主体だったので、自ずとゲームプランは違っていました。移籍した2009年シーズンは試合に出ていましたが、サントリーの時はボールを持ってゲインするのがメインの役割だったのに対し、リコーではボールチェイス、ラックなどが中心となり、ボールを持つ回数もかなり減りました。
2010年、2011年の2シーズンは、練習試合では良いプレーが見せられていても、公式戦の出場機会をなかなか得られず、自分としてもストレスを感じて、ラグビーへの情熱を失う期間がありました。そんな時にキヤノンから声をかけて頂き、自分はやはりラグビーを続けたいという気持ちがあり、キヤノンが自分を必要としてくれていると感じ、移籍することになりました。

――キヤノンに入部してどうですか?

まず、これまで接してきた人がいることを嬉しく思っています。永友監督を始め、アンディ・フレンドヘッドコーチ、そしてトマシ(ソンゲタ)。彼とはサントリー時代からずっと仲が良く、家族同士の付き合いを続けている間です。もう一つは施設が素晴らしいことです。最初に見た時は本当に驚きました。ラグビー選手が必要とするものがすべて揃っています。
5月1日からトレーニングを続けていますが、ラグビーに特化した内容で、非常に満足しています。日本人選手とのコミュニケーションは、日本語で頑張っています。もっと話せるように日本語の勉強も頑張っていきたいと思っています。

――トップリーグチームの経験をキヤノンは期待しているが

自分としては、今まで通り100%の力を出して頑張るだけです。特にリコーとの試合を社員の皆さんが注目していることは理解しています。私はリコーから移籍してきましたので、自分もリコーとの試合は楽しみにしています。グラウンドに立てば友人も敵ですので、出場できれば勝つために精一杯頑張ります。


ロッキー・ハビリ選手

――では最後にファンの皆さんへ

初めてのトップリーグでの試合は、非常にエキサイティングなものになると思います。私の持っているすべてをチームに捧げ、肉体的にも精神的にもキヤノンに良い影響が与えられるよう、100%の力を出していきます。そしてキヤノンの一員として戦うことを楽しみにしています。ファンの皆さん、長い道のりを一緒に歩いて行きましょう。是非グラウンドへ来て、応援を宜しくお願いします。