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選手インタビュー

2021年6月14日 | WTB/FB橋野皓介選手 退団インタビュー

「根本的な課題にようやくフォーカスが当たった」

キャプテンとして、SOとして、そして今季はバックスリーとしてキヤノンイーグルスを支え続け、11シーズンに渡り高いパフォーマンスを見せ続けてきたWTB/FB橋野皓介選手。イーグルス史に残るスピードスターが、ついにブーツを脱いだ。

セブンズ日本代表としても長年活躍した国内屈指のフィニッシャーは、ポジション争いがより熾烈になったイーグルスでの最後のシーズンも3試合に先発し(WTB1試合、FB2試合)、健在ぶりをファンに披露。引退が惜しまれる活躍だったが、インタビューに応じた橋野選手の表情は「やりきった」という晴れやかさに満ちていた。
(取材日:2021年5月24日)


── 橋野選手にとって最後のシーズンとなった今季ですが、思い出深い1年となったでしょうか?

「最後のシーズンになると開幕前から決めていましたので、一日一日を大切にしながら過ごしてきました。監督もキャプテンも新しくなりましたし、本当に刺激的で充実したシーズンだったと思います。WTBにも挑戦しましたが、こうして新しいポジションにチャレンジすることは新鮮な経験でしたし、今年で34歳という年齢では新しい挑戦をすることはなかなかできることではありませんので、楽しかったです」

── 最後まで挑戦し続けたラグビー人生だったということですね。

「沢木さん(沢木敬介監督)が監督に就任されて、若手もベテランも年齢に関係なく発破をかけてくれましたので、最後までチャレンジすることができた、いいシーズンだったと思います」

── 開幕戦のNTTドコモ戦と第2節の神戸製鋼戦で先発されました。いずれも勝利に結びつかなかったのは残念でしたが、橋野選手個人としては開幕当初からチームにコミットできたのではないでしょうか。

「そうですね。待ちに待った開幕戦でしたので、そこでスタメンに入ることができたのはうれしかったです」

(2021年2月21日 NTTドコモレッドハリケーンズ戦)
(2021年2月21日 NTTドコモレッドハリケーンズ戦)
(2021年2月28日 神戸製鋼コベルコスティーラーズ戦)
(2021年2月28日 神戸製鋼コベルコスティーラーズ戦)

── チームの状態が徐々に上がっていく中で、橋野選手は第5節のリコーブラックラムズ戦で今季3試合目の先発の座を勝ち取りました。後半33分、WTBホセア・サウマキ選手のトライにつながるグラバーキックを放ちました。

「開幕戦のNTTドコモ戦と第2節の神戸製鋼戦は消極的で、あまりボールキャリーできなかったので、FBで先発したリコー戦は積極的にアタックしようと考えていました。前半の序盤からボールを持ったら蹴らずにひたすらキャリーしていたので、相手のFBは『今日の橋野は蹴ってこない。ランで来る』と考えたのか、手前のディフェンスラインへ上がってくるのが早かったんです。それを見て相手の裏にボールを転がしました。そこに足の速いホセアが走り込んでトライを決めてくれました。拮抗した展開で試合終了間際の時間帯に貴重なトライに絡むことができて、本当によかったです」

(2021年3月27日 リコーブラックラムズ戦)
(2021年3月27日 リコーブラックラムズ戦)

── 11シーズンの間、様々な選手やコーチとともに過ごされてきたと思います。今季はそれまでと比べてどのような違いがあったと感じていますか?

「ラグビースタイルが昨季以前までとはガラッと変わりましたが、それ以上に、特にシーズン終盤に選手が一つになり毎週末の試合に対して全員で準備できた、という点が今までとの大きな違いです。もちろん選手によってプレータイムの差はありますが、スタメンならスタメン、リザーブならリザーブ、ノンメンバーならノンメンバーの役割がそれぞれあり、全員が自分の役割をしっかり考えたうえで行動に移すことができました。それがチームに一体感が生まれた要因だと考えています」

── 今季はコロナ禍で難しい状況の中でも毎週の準備がしっかりできたという声が選手からよく聞こえてきました。

「やるべきことが明確でした。コーチ陣からやることをはっきり提示してもらっていましたので、いいモチベーションでしっかり遂行するのが選手の役割で、それができたシーズンだったと思います。コロナの影響はあったとはいえ、準備の難しさはさほど感じませんでした」

── 残念ながらそのリコー戦が結果的に現役最後の出場となりましたが、その後もイーグルスは勝利を重ねていきました。チームの成長をどうご覧になっていましたか?

(2021年3月27日 リコーブラックラムズ戦)
(2021年3月27日 リコーブラックラムズ戦)

「実は第7節のNEC戦には帯同していたのですが、プレーオフトーナメントのNTTコミュニケーションズ戦とパナソニック戦の時はケガで入院していましたので、直に見ることはできませんでした。ただ、練習はオンラインで見ていて、画面から『みんなで一つの目標に向かってやっていこう』という姿勢が伝わってきましたし、試合では出場している選手の『出られなかった選手のためにも体を張ってがんばろう』という気持ちを強く感じました。メンバーとノンメンバーが一つになれていましたね」

── 23人だけではなく、まさにチーム全員で勝利を積み重ねていったわけですね。

「まさにそうだと思います。昨季までのイーグルスは継続的な強化がなかなかできていませんでしたが、今季は『みんなが一つにならないと勝てない』という根本的な課題にようやくフォーカスが当たりました。シーズン終盤は特にそう感じていました。チームとして何を大事にするのか、ひいてはこのチームは何のためにあるのか。そういった一番大事な部分にスポットライトが当たり、いい文化を築いていく過程の第一歩になりました。新リーグ元年を迎える来季のイーグルスはさらに期待できると思っています」

── 選手たちをそのように方向づけたのは、もちろん選手自身の意識の変化もありますが、やはり沢木監督をはじめとするコーチ陣の力が大きかったのでしょうか?

「そうですね。沢木監督はシーズン序盤から『一人一人がもっとチームを愛そう。チームのためにやるべきことをやろう』と唱えてきました。それを見て僕は『ああ、やっとイーグルスは一つになれる』と思えました。これまでセブンズの活動の関係でイーグルスに専念できるシーズンが少なかったのですが、端から見ていてもチームがどこか一つになれていないと感じていました。それを改善していくためは、1年目から3年目ぐらいまでの若手の中から積極的にチームのために意見を主張して行動を起こせる選手が出てこないといけないと考えていたのですが、今季はルーキーのCTB山本雄貴が見えない部分でイーグルスのためにいい働きをして貢献してくれたので、本当にうれしかったです。僕よりも10歳ぐらい年下なのですが、すごく感心させられました。もちろん監督やコーチが引っ張る部分も大きいのですが、若い世代からの突き上げも大事です。それによって周りが刺激され、チームにいい効果をもたらすとあらためて感じたシーズンになりました」

── 橋野選手自身もチーム愛がより深まったシーズンになったでしょうか?

「そうですね。キャプテンを務めたシーズン(2015-2016シーズン)もチームのことをよく考えましたが、今季はベテランとしてチームにどっぷり漬かり、かつてないほどチームのことを考えた1年となりました。考えれば考えるほどイーグルスへの愛が深まっていき、勝つとさらにチーム愛が深まっていきました」

(2015年11月29日 コカ・コーラレッドスパークス戦)
(2015年11月29日 コカ・コーラレッドスパークス戦)
(2015年12月13日 豊田自動織機シャトルズ戦)
(2015年12月13日 豊田自動織機シャトルズ戦)
(2016年1月16日 近鉄ライナーズ戦)
(2016年1月16日 近鉄ライナーズ戦)

── 橋野選手が出場できなかった第4節のヤマハ発動機戦が今季の初勝利となりましたが、そのあたりからチームの成長、向上を感じていましたか?

「ヤマハ発動機戦以上に、開幕戦が鍵だったかもしれません。もしNTTドコモに競り勝っていたらこのような大事なことに気付かなかったかもしれないと今は思っています。負けたことで『何がよくなかったのか』とじっくり考えましたし、よりチームのことを考えるようになりました。たとえば10年後に『この10年でイーグルスの一番のターニングポイントとなったのはどの試合か』という話になったとしたら、そのNTTドコモ戦の負けがそれに当たるかもしれません。それぐらい大きなものを得ることができた敗戦でした」

── 敗戦を教訓に、徐々にまとまっていったイーグルスは最終的には8強という結果でシーズンを終えました。

「順位という数字で見れば2018-2019シーズンは12位でしたので、そこからベスト8に入ったことは飛躍と言えると思います。ただ、そこからトップ4、さらには優勝を目指すためには、ペナルティを減らすなどディシプリン(規律)の面を改善し、セットプレーももっと強化しなければなりません。ベスト8入りした一方で足りない部分がはっきりしましたし、今後イーグルスが強くなっていくために必要なものが見えたシーズンだったと思います」

── いい形で後輩たちに今後のイーグルスを託すことができた、そんなシーズンでしたか?

「はい。みんなで一つの目標に向かって試合に向けていい1週間を過ごす必要がある、といったことは伝えられたと思っています。プレー面の向上だけでは絶対に優勝できない、と言い切れます」

── 今シーズン限りで引退されることは、他の選手やコーチはご存じだったのでしょうか?

「事前に伝えていたのは沢木監督と、仲がいい三友良平選手、金子大介選手だけでした。自分含め3人とも同じタイミングでの引退となりましたが、自分で引退を決められる選手はそうたくさんはいませんので、特別体が強いわけではなかった僕でも11年間プレーし続けることができたのは本当に幸せなことだと思います」

── 最年長の三友選手とはどんな話をしていたのでしょうか?

「三友さんは今季ずっとリザーブで試合に出続けていましたので、試合前や試合後にメールを送っていました。僕はもともとSOで、インサイドCTBの三友さんとは隣のポジションでした。プレー中もロッカーでもずっと密にコミュニケーションを取り続けていましたので、準々決勝のパナソニック戦後はお互いに自然と『お疲れ様』という言葉が出てきましたね。三友さんほどイーグルスに貢献した人はいないと思います」

── 1歳年下の金子選手についてはいかがでしょうか?

「彼もずっとケガを抱えていましたので、『大丈夫か?』とよく声をかけていました。ラグビー以外でも常にコミュニケーションをとっていたよき友であり、よき仲間ですね」

── また、昨年は東京五輪の延期が決まり、橋野選手はセブンズ日本代表からの引退を表明しました。

「東京五輪が1年延びると決まった時に、このまま本当にセブンズがやりたいかどうか自分に問いかけてみたところ、やりたくないという答えが出ました。モチベーションの面で自分に嘘をつきたくなかったのです。ただ、現在セブンズ日本代表として五輪出場を目指している松井千士と中川和真はまだまだこれからの選手ですし、松井には代表キャプテンとしてチームをどんどん引っ張ってもらう必要があります。同時に、イーグルスに帰ってきたら15人制にもフィットしてもらいたいです。特にサントリーから移籍してきた松井はチャンピオンチームの空気感を知っています。イーグルスにもその空気感を浸透させてほしいと思っていますので、その点でも大いに期待しています」

── その他の後輩選手も含め、今後のイーグルスにはどんなことを期待していますか?

「結果はどうあれ、自分たちのやっていることは絶対に間違っていないと自分たちを信じることです。もし負けが込んだとしても自分たちを見失わずにやり続けてほしいと思っています」

── イーグルスでの11年間にはケガで出場できない期間もあったと思います。状態が戻らず出場できない間、どのようにモチベーションを維持していたのでしょうか?

「何回オペしたか自分でもわからないほど何度もケガしてきたのですが、そのたびに思ったのが『治らないケガはほとんどない』ということです。もちろん医学の進歩があってのことですが、ケガはいつか必ず治りますので『落ち込んでいても仕方ない』というマインドでずっとやってきました。ケガしてしまったことよりも、ケガした後のリカバリー、それも体以上に心のリカバリーをすることがいかに大事かということを後輩たちにも伝えたいです。いずれ必ずプレーできるようになりますからね」

── 入部当初、トップカテゴリーで11年間プレーを続けることは想像していましたが?

「学生時代(同志社大学)はほぼ4回生の時しか試合に出ておらず、どの社会人チームからも声がかかりませんでした。当時のキヤノンイーグルスはトップイーストリーグで、トップリーグに手が届くとは思えなかった時代でしたので、トップリーグでここまで長い年月プレーできるとは想像していませんでした。それよりも『とにかくラグビーがしたい』という一心でいろいろなチームに声をかけたところ、当時の永友洋司ヘッドコーチ(現GM)がトライアウトで拾ってくれました。永友さんには本当に感謝しています」

(2015年9月12日 東芝ブレイブルーパス戦)
(2015年9月12日 東芝ブレイブルーパス戦)

── 11年間の中で印象深かった試合、プレーがあればお教えください。

「トップリーグ昇格初年度(2012-2013シーズン)の開幕戦、NTTドコモ戦ですね。イーグルスでの思い出としてはあの試合が一番大きいです。大阪の長居第2陸上競技場でのナイトゲームでしたが、初昇格したチームとして特別な瞬間でした。開幕前にヤマハ発動機との練習試合で大敗し、自信を失ってトップリーグ開幕戦を迎えたのですが、そのNTTドコモ戦では見違えるような試合をして完勝しました(〇38-14)。それによって『自分たちはいける!』という思いになったと記憶しています」

(2012年9月1日 NTTドコモレッドハリケーンズ戦)
(2012年9月1日 NTTドコモレッドハリケーンズ戦)

── ラグビーキャリアを終えた橋野選手の今後の予定についてお聞かせください。

「まだ決まっていないのですが、一眼レフカメラのユーザー調査の部署にいる社員ですので、まずは社業に専念することになると思います」

── 何かしらの形でイーグルスをサポートしていく可能性もありますか?

「具体的には何も決まっていませんが、可能性はもちろんあります」

── イーグルスで過ごした11シーズンは、橋野選手の人生においてどのような意味のある時間でしたか?

「5歳からラグビーを始め、最初にラグビーボールに触った当時のことを覚えていないぐらいなので、自分がラグビープレイヤーでない姿を想像することが想像できずにいて、今は不思議な気持ちです。ただ、今まで自分に関わってくださった方々には感謝の気持ちしかない、ということははっきりとお伝えしたいと思います。もちろん両親や妻にも心から感謝しています。11年間、要所要所でいい出会いがあり、様々な方が自分のために動いてくださり、そしていろいろなことを教えていただきましたが、こうした素晴らしい方々と出会わせてくれたのがラグビーでした。これからも大好きなラグビーに何かしらの形で関わっていきたいです」

── 30年弱、ずっと楕円球とともに歩んできたわけですね。

「その間、ラグビーを辞めたいと思ったことは1回もありません。最初にラグビーを始めた寝屋川ラグビースクールでラグビーの楽しさを教わりました。大阪には強いスクールがたくさんありますので、勝った記憶がないぐらいひたすら負け続けていたのですが、毎週日曜スクールに行くのがすごく楽しみで、そこで教えてくれたコーチ陣のみなさんが『ラグビーは楽しい!』と思わせてくださって、この歳まで一度も辞めたいと思わず続けることができました。当時のコーチたちにも感謝しています」

── 最後に、イーグルスのファンのみなさんへのメッセージをお願いします。

「長い間応援していただき本当にありがとうございました。イーグルスが勝っている時だけではなく、負けが続きチームの状態がよくない時も変わらず応援していただいたことはずっと心に残っています。みなさんの声援がなければここまでがんばることも、選手生活を続けることもできなかったと思います。いつも応援がものすごく力になっていました。コロナ禍で行動が制限されていますが、解消された時には再びイーグルスを大きな声で応援していただけるとうれしいです」


ホワイトカンファレンス第5節リコーブラックラムズ戦が最後の出場となった橋野選手だが、その試合の終盤に見せたグラバーキックは逆転勝利への足掛かりとなり、今季屈指のナイストライを呼び込んだ。今季のイーグルスを勢いづけるプレーの一つだったと言えるだろう。

ケガはいつか必ず治るので落ち込んでいても仕方ない。負けが込んだとしても自分たちを見失わない── 引き続きイーグルスを支える後輩たちに多くのメッセージを残した橋野選手のチーム愛は、これからも脈々と受け継がれていくはずだ。

(インタビュー&構成:齋藤 龍太郎)

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