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選手インタビュー

2021年6月16日 | CTB三友良平選手 退団インタビュー

「いい準備をした上でベストを尽くす」

キヤノンイーグルスの生え抜きの選手としては最年長で、12シーズンに渡り常に第一線で活躍してきたCTB三友良平。現役ラストシーズンとなった今季もリザーブとして5試合に出場し(試合登録は6試合)、最後の最後までチームに貢献し続けてきた「ミスターイーグルス」だ。

堅実で、常にチームに必要とされてきた三友選手はなぜ常にいいパフォーマンスを見せ続けることができたのか。また、これから歩み始めようとしている新たな道とは。過去から現在、そして未来に至るまで、三友選手に話をうかがった。
(取材日:2021年5月27日)


── 今季はホワイトカンファレンスのリーグ戦3試合、プレーオフトーナメント2試合に出場しました。三友選手にとって最後のシーズンでしたが、どのような1年になりましたか?

「イーグルスが成長過程を踏む第一歩のシーズンになったと思います。そこに立ち会えたことはとても光栄です」

── 成長の第一歩として、どのあたりが大きく変わったと感じていますか?

「見てのとおりボールがよく動くようになり、アタッキングチームになった点です。毎年激しかったポジション争いも、今季も例年通り激しかったと感じています」

── 今季は連敗スタートから一転して連勝を重ねていき、ベスト8という結果となりました。チームとしていい流れとなったのはどのタイミングでしょうか。

「どのタイミングからというよりも、チームとして1年間一貫して取り組んできた結果だと思っています。一貫していいイメージトレーニングをして、十二分にフィットネスを強化していましたので、いずれ結果として表れると思っていました。転機となった試合を挙げるとしたら第3節のパナソニック戦からよくなっていったと言えますが、それもみんなで積み重ねてきたものが形になった結果です。開幕3連敗と負けが込んだ時は不安もありましたが、それでも努力を積み重ね続けることが大事であり、プレーの精度が上がってくれば間違いなくいい結果につながると信じていました」

── 沢木敬介監督が就任し、チームとして変わったのはどのあたりでしょうか?

「自分たちの強みを持たせてくれたことですね。それを信じて戦えるようになったことが何よりも大きいです。練習でも試合でも全員それを信じて臨むことができたのがよかったと思います」

── 沢木監督は「チームを愛することが大事」と開幕前から言い続けていました。

「そうですね。それによって自分のチームに自信を持てるようになったと思います。選手各自が『チームのために何ができるか』と考えていましたので、そういう意味でもチーム愛が深まったシーズンだったと言えるかもしれません」

── 新キャプテンのSO田村優選手の働きをどのように感じましたか?

「スキルはもちろんグラウンド上のパフォーマンスは毎年素晴らしいのですが、リーダーとしてチームに対する接し方が素晴らしく、チームを引っ張っていたと思います。チームにとって必要なことを伝える際に、大切なことを端的に話してくれたのですごくわかりやすかったです」

── プレースキックは現在ほとんど田村選手が蹴っていますが、プレースキッカーとして長く活躍してきた三友選手もキックの練習は最後まで欠かさなかったのでしょうか?

「はい。ただ、今季はSO/FB小倉順平やWTB/FBエスピー・マレーもいましたので、そこまで練習しませんでしたが、昨季までは準備していました」

── 三友選手のプレースキックの正確さは言うまでもありませんが、ご自身の強みはどのあたりにあると自負されていましたか?

(2015年9月8日 リコーブラックラムズ戦)
(2015年9月8日 リコーブラックラムズ戦)

「プランをしっかり遂行する、そしてミスをしない、というところだと思います。飛び抜けて足が速いわけでも、体が大きいわけでも、当たりが強いわけでもなかったので、とにかく自分の強みである堅実なプレーを心掛けていました」

── コーチ陣からはどのあたりを評価されてリザーブとして出場し続けることができたとお考えでしょうか?

「やはり大きなミスをしないことでしょうか。試合を締めくくる際に大きなミスをして点を取られる、といったことを起こさないところを評価してもらえたのだと思います」

── 引退を決意されたのはいつ頃でしょうか?

「入団当初は『10年間ラグビーをやりたい』と考えていました。10年目を迎えた時に『あと2年ぐらいかな』と考えるようになり、今季で12年の節目を迎えた形です。10年というのは漠然と決めていた目標でしたが、それをクリアした時に『もう少し自分を高められるのでは』と考えて、さらに2年続けました。実は以前から農業をやりたいと考えていて、ラグビーを終えて農業という次のステージへ進みたいと考えました。それが引退を決断した一番の理由です。チームに入った12年前の時点で『将来的には農業をやりたい』という意向を当時監督だった洋司さん(永友洋司GM)に伝えていました。やめるその日まではラグビーに集中できる環境でやりたいと考え、社員選手として4シーズンを終えた後プロに転向させてもらいました」

── 農業に興味を持ったのはいつ頃のことでしょうか?

「実家が大和芋を作っている農家で、その影響を受けました。大学生活が終わりキヤノンに入社するまでの間、実家の手伝いをしていた時に『農業っていいな』と思うようになりました。今後はまず1年間見習いとして大和芋の栽培を学び、その後、可能性があれば他の品目も作っていきたいと考えています。まずは両親の大和芋栽培の技術を学びたいと思っています」

── これまでとは違う分野に転身されるわけですが、最後となったプレーオフトーナメント準々決勝パナソニック戦が終わった後、三友選手は晴れやかな表情をされているように見えました。どのような心境でしたか?

「今季は感謝の気持ちしかありません。少しでもチームの力になれればと思いながら過ごしてきましたので、悔いや心残りはありませんでした。毎試合毎試合『これで最後』と思いながら出場していましたし、実際にチームとして今季最後の舞台にも立たせていただいたので、『やり切った』という気持ちです」

(2021年5月8日 パナソニックワイルドナイツ戦)
(2021年5月8日 パナソニックワイルドナイツ戦)

── イーグルスの一員としての最後の試合となったそのパナソニック戦は、地元である埼玉県深谷市からほど近い熊谷ラグビー場が舞台となりました。

「高校(深谷高校)時代は『熊谷ラグビー場で試合がしたい!』と思いながら高1でラグビーを始めたのですが、現役の最後に憧れの舞台で引退できて、本当にいい巡り合わせになったと思っています」

── 最後のシーズンを過ごした中で、これからもイーグルスでプレーを続ける選手たちに伝えてきたこと、伝えたかったことはどのようなことだったのでしょうか?

「経験してきたことを伝えたいという思いはもちろんありますが、そういうこと以上に自信を持ってグラウンドに立ってもらいたい、ということですね。フィジカルやスピードなど高い能力を持っている若い選手がたくさんいますので、自信を持ってラグビーをやってほしいと思っています」

── 言葉だけではなくプレーを通じて後輩たちに伝えたかったことは何でしょうか?

「一つ一つベストを尽くす、ということですね。単にがむしゃらにやるということではなく、いい準備をして、その上でベストを尽くすということです」

── シーズンが終わるような大きなケガをすることがほとんどなかったということですが、どのようにしてケガを防いでいたのでしょうか?

「コンディションに関してはトレーナー陣、メディカルスタッフからやるべきことをいただいていましたので、それを実行するだけでした。私が特別何をしたということではなく、スタッフが提示したことを着実にこなしただけです。その結果として今がありますので、スタッフのみなさんのおかげです」

── 同じタイミングで引退することとなった橋野皓介選手、金子大介選手とは特に仲がよかったそうですね。

「二人とも長く一緒にやってきて、気を遣わない相手です。よく『波長が合う』と言いますが、まさにそんな感じです。引退のことは昨季ぐらいから彼らには話していました。私もこれまでたくさん話しかけてもらいましたし、それによって自分もすごくリラックスでき、助けられていた部分が大きかったです。二人ともしっかりしているので、『自分ももっとやらないといけない』と刺激も受けていた、そんな関係性でした」

── トップリーグ昇格など、彼らとともにイーグルスの歴史を築き上げてきたわけですね。

「歴史を築いた、などと大それたことは考えていませんが、毎年毎年一生懸命激しいトレーニングを一緒にやってきた戦友です。二人がいてくれたからこそ今の自分が形成されたと思っています」

(2012年2月4日 トップリーグへの昇格を決めたクボタスピアーズ戦終了後)
(2012年2月4日 トップリーグへの昇格を決めたクボタスピアーズ戦終了後)

── 若い世代の中で刺激を受けた後輩はいましたか?

「みんな思い出深い選手ばかりですが、私より先に辞めていった後輩のことは特に印象に残っています。彼らが努力していた姿、悔しい思いをしていた様をずっと見てきましたので、私が彼らの分までまじめにラグビーに取り組まないと後輩たちに示しがつかない、彼らに恥じない態度でラグビーと向き合おう、という思いで今までやってきました」

── 数多くの外国人選手とも接してきました。

「外国人選手と言っても当然ながら一人一人違う個性を持っているわけですが、試合に向けて1週間どういう準備をするかという取り組み方は勉強になりました。今で言えばCTBジェシー・クリエルはとてもまじめに取り組んでいます。能力が非常に高い上に献身的なので、いい影響を受けました」

── イーグルスで過ごした12シーズンの中で、特に思い出深い瞬間があればお願いします。

「1年目のトップイーストリーグの最終戦、栗田工業(現栗田工業ウォーターガッシュ)との試合に勝って大いに盛り上がり、チームと観客のみなさんとで大勢で記念撮影したのをよく覚えています。トップリーグ初昇格のシーズンも、開幕のNTTドコモ戦を筆頭にどの試合も印象深いです」

(2009年12月27日 栗田工業ラグビー部戦)
(2009年12月27日 栗田工業ラグビー部戦)
(2012年9月1日 NTTドコモレッドハリケーンズ戦)
(2012年9月1日 NTTドコモレッドハリケーンズ戦)

── イーグルスに入られた当時は、トップリーグ昇格が最大の目標だったと思います。実際に昇格した時はどのように感じましたか?

「『次のステージに進むんだ』というわくわくした気持ちと、『今の自分で通用するのか』という不安な気持ちが入り組んでいました。ただ、それまではトップチャレンジリーグで戦ってきたので、もちろんうれしい気持ちもありました」

── 昇格から9シーズン、今季はベスト8に上り詰めました。順位としては2015-2016シーズンの6位が最高ですが、ベストシーズンに近い1年になったのではないかと思います。チームの成長をどのように感じてきましたか?

「チームとして一貫して成長してきたかと言われると、実際は紆余曲折があったのは確かです。今季は新たなスタートとして一歩踏み出したという印象が強いのですが、それまでは洋司さん(永友洋司GM)がヘッドコーチまたは監督の時期が長く、その間は一貫して成長してこられたと感じています。その後しばらく低迷しましたが、今季は新たな第一歩を踏み出せたのではないかと思います」

(2021年3月14日 ヤマハ発動機ジュビロ戦)
(2021年3月14日 ヤマハ発動機ジュビロ戦)

── 特に今季はノンメンバーの貢献が大きかったと聞きます。実際、どのように感じましたか?

「自分の評価のことは考えず、相手チームになりきってくれたことによってチームとして想定していたいい準備ができました。ブレイクダウンも激しくファイトしてくれましたし、貢献度が高かったと思います。悔しい気持ちを押し殺して相手チーム役に徹するのは非常に難しいことだと思います。私も最初はノンメンバーとして取り組んでいましたが、みんなしっかりチームにコミットしていたと感じました」

── 最後に対戦したパナソニックは最終的に優勝を飾った特別な相手でした。通用した部分はあったでしょうか?

「パナソニックはアタック、ディフェンスともに実力がありますし、特に今季はディフェンスの精度が際立っていたと思います。ただ、イーグルスのアタックはそのパナソニックにも通用していた部分があったと思いますし、そういう意味では準々決勝は我々の集大成となった試合だったので、敗れはしましたが必ず今後につながると思っています」

(2021年5月8日 パナソニックワイルドナイツ戦)
(2021年5月8日 パナソニックワイルドナイツ戦)

── たとえば後半28分のCTB南橋直哉選手のトライは、パナソニックでも対応できない見事なプレーでした。

「直哉のトライは1週間準備してきたプレーでした。しっかり準備すれば結果に結びつくということがあらためて証明されたトライだと思っています。やはりチームとして準備してきたことができるかどうか、それに尽きます。私も12年間、常にいい準備するように努めてきました」

── 先日の納会ではどのような挨拶をされたのでしょうか?

「本当に感謝しかありません、ということですね。今シーズンを終えた時『やりきったな』とこれ以上ないと思いながら終わりを迎えられましたので、12年間ラグビーができたことは本当によかったと思っています」

── 引退にあたり、農業の道を進むことに当初から理解を示していた永友洋司GMからは何か話がありましたか?

「洋司さんからは『お疲れ様』と言っていただきました。入団から4年間は社員選手だったのですが、その後プロ選手に転向しラグビーに集中できる環境に変えた時も、農業の道に進むにあたっても、前向きに背中を押してもらいました。監督時代、直接そう言われたわけではないのですが『信頼できる選手でないと試合には出せない』というメッセージを常にいただいていたような気がします。そういう存在に見合った選手になろうとしてきました」

(2009年5月 リコーブラックラムズとのオープン戦)
(2009年5月 リコーブラックラムズとのオープン戦)

── 社員からプロまで、幅広い経験をされたラグビーキャリアでした。

「社員時代も非常に恵まれた環境でした。職場のみなさんにも観戦に来ていただきましたし、試合の次の週は『勝ったね』『すごかったね』と声をかけていただき、エネルギーやポジティブな気持ちをいただいていました。感謝しかありませんでした。その点でも恵まれていたのですが、将来的なことを考えるとプロになった方がいいと考えました。社員で4年、プロで8年やり切りましたので、悔いはありません」

── イーグルスでの12年間は、三友選手の人生においてどのような意味のある時間でしたか?

「ラグビーは人間味が出るスポーツです。取り組む中で信頼を得るにはどうしたらいいか、ということを常に学んできた12年間でした。その『信頼』は農業にも通じる部分があると考えています。私の作った野菜が信頼されなければ買っていただけないと思いますし、何においても『信頼』を大切にしていきたいです。ラグビーを通じてそれを学べたことは大きかったと思います」

── 最後に、長年応援してくれたファンのみなさんに向けてメッセージをお願いします。

「みなさんに喜んでいただきたいのに、応援によって逆に勇気づけていただき、こちらからもみなさんを勇気づけられるようなプレーをしなければいけないと考えていました。もちろん勝った時はファンのみなさんと喜びを分かち合えるのですが、声援の力を特に強く感じたのは試合に負けた時でした。敗戦後、スタンドに向けて挨拶する際に拍手とともに温かいメッセージをいただけると、次の試合に向けて勇気を持って臨むことができました。たくさんのお力をいただき、心より感謝しています」


堅実で精度の高いプレーはもちろん、黙々と練習し続ける日々の取り組み、飾り気のない人柄は数多くの選手たちにプラスの影響を与えた。今回のインタビューでも謙虚な回答に終始していた三友良平選手が自身の影響力について誇ることは最後までなかったが、そんな姿勢こそが「ミスターイーグルス」と呼ばれる所以なのかもしれない。

キヤノンイーグルスを離れ、農業という新たな道を進む三友選手。地道に努力し続けてきた12年間はこの先も間違いなく生き続け、その実直なキャラクターが農作物の出来にも反映されることだろう。「ミスターイーグルス」の第二の人生を陰ながら応援していきたい。

(インタビュー&構成:齋藤 龍太郎)

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