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2025.06.05
INTERVIEW

引退インタビュー FL嶋田直人

「チームを愛する、組織を愛する、そんな思いが満ちていたチーム」

チーム・マン──横浜キヤノンイーグルスにおいてその称号が最も似合うのは、生え抜き選手でチーム史上初の公式戦100試合出場を達成したFL嶋田直人、その人だろう。

入団11年目の今シーズンにその大きな節目を迎え、計112試合に出場したイーグルス史に残るタフガイが、チームメイトや多くのサポーターに惜しまれながら現役生活を終えた。

立命館大学卒業後、トップリーグ(現リーグワン)のどこからも声がかからず「イーグルスに拾ってもらったようなもの」と振り返る嶋田。チームへの思いは誰よりも強い。

ラストゲームでチームメイトに胴上げされてから約2週間、シーズンを締めくくる納会を終えてインタビューに応じた嶋田の顔は、実に晴れやかだった。


■いい思い出よりもよく負けていた時代の悔しさの方が残っている

──清々しい表情をされていますね。

「このチームから離れていくんだな、とようやく実感し始めたところで、今はすっきりとした気持ちです。ラグビーができない寂しさはありますが、それ以上にやり切ったという思いの方が強いです」

──ラストゲームとなった5月10日の最終節、東芝ブレイブルーパス東京戦から約2週間が経ちました。

「あれからもほぼ毎日、ここ(キヤノンスポーツパーク)に来てみんなと会っていましたが、今日(の納会で)ようやく『終わった』と感じています」

──明日はサポーター感謝祭があります。

「僕個人としては11シーズンにわたって応援していただいたので、感謝の気持ちと『これからも応援してください』という思いを伝えたいです」

──イーグルスがなかなか勝てなかった時代から支えてくれているサポーターもたくさんいらっしゃいます。

「最後の方(リーグワン2022-23、2023-24シーズン)に4強に入りましたが、それでもよく負けていた時代の思い出の方が強いですね。結果が出ないシーズンの方が多かったので、そういう悔しさの方が強く残っています。もちろんプレーオフに行ったことも、3位になったことも(2022-23シーズン)もちろん印象的でうれしいことなのですが、トータルで考えると悔しさの方が残っています」

──そのような時期に、同期のHO庭井祐輔選手とともに共同キャプテンを務めるなど、懸命にチームを牽引しました。

「当時は様々なプレッシャーがあっただけでなく、僕自身のパフォーマンス自体もよくなかったので、ストレスが溜まって入院したり突発性難聴になってしまったこともありました」

──それでも監督、ヘッドコーチが移り変わる中で、嶋田選手は最後までメンバーに選ばれ続けました。

「僕を使い続けてくれたことに感謝していますし、期待してもらっていた分、しっかりとプレーで表現しないといけないと考えていました」

──信頼されるプレーを積み重ね、今シーズン第2節のコベルコ神戸スティーラーズ戦でトップリーグとリーグワンの公式戦通算100試合出場を達成しました。それが一つの区切りになった、ということでしたね。

「引退そのものは2、3年前ほど前から考えていて、どのタイミング(で引退するの)が一番いいのかと考えていました。イーグルスの生え抜き選手で100キャップを達成した選手はまだいなかったので、100キャップを達成するシーズンで終われたら一番きれいかな、そろそろ次のキャリアへ進むタイミングかな、と考えるようになったんです」

■サンゴリアスに勝てる未来はとても描けなかった

──現役ラストイヤーとなった今シーズンですが、ご自身の「引退よりもチームの勝利が何よりも気がかりだ」というコメントが印象的でした。実際、嶋田選手も最後まで必死に戦い続けたシーズンとなりました。

「ファイナルの舞台に立って優勝しようとみんなで話してスタートしたシーズンだったので、僕の引退は別にどうでもよかったです。それよりも今シーズンもチームとしてしっかり結果を出さないと、と考えていました」

──引退試合ではゲームキャプテンを務めました。

「梶村(祐介キャプテン)がケガしていたこともありますが、ラストゲームでゲームキャプテンに指名してもらい、本当にうれしかったです。試合に出られたこと自体いい思い出になりましたし、僕にとってすごく大事な時間になりました。感謝しています」

──試合後はチームメイトに胴上げされていましたね。

「人生初胴上げでした(笑)。みんなに囲まれて『いや、マジか』と思いましたが、本当にこのチームでやってきてよかった、と感じながら胴上げしてもらいました」

──これまで何度も試合をして、チーム史上初の3位になった舞台でもある秩父宮ラグビー場での、しかも多くのサポーターの前での胴上げでした。

「勝てたら一番よかったですが、いい終わり方だったと思います」

──チームのみなさんも異口同音に「勝って嶋田選手を送り出したい」と言っていました。

「最後の1週間は、みんなが『嶋田のために最後までやり切ろう』ということを言ってくれていました。僕以外にもイーグルスでのラストゲームの選手たちがいたので、自分ばかりフォーカスされるのは少し気がかりでしたが、その気持ちはすごくうれしかったです」

──立命館大学時代からずっと一緒にやって来た同期のHO庭井祐輔選手からは、最終節の朝に「一緒に出られなくて残念だけど、楽しんでプレーして」というLINEをもらったそうですが、その後は何か言葉を交わしましたか?

「『お疲れ様』くらいですかね。僕ら、ドライなんですよ(笑)。でも本当に感謝しています。一緒にやってくれてありがとう、という気持ちです。最後の試合も一緒に出られれば彼のメモリアルゲームになるはずだったのでそれが一番よかったのですが(HO庭井が出れば公式戦通算100試合出場となる予定だったが欠場)、その達成は来シーズンの楽しみにして応援したいと思います」

──嶋田選手にとって特に思い出深い試合を教えてください。

「まず、昨シーズンのプレーオフ準決勝で埼玉パナソニックワイルドナイツに負けた試合です(17-20で惜敗)。僕はリザーブ(20番)で登録されていたのですが、結局グラウンドに立てなかった悔しさを強く感じた試合でした。
もう1試合挙げると、2022-23シーズンのプレーオフ3位決定戦で東京サントリーサンゴリアスに勝って、3位になった試合ですね。公式戦で初めてサンゴリアスに勝てた試合でもあったのですごくうれしい瞬間でしたし、いい思い出になりました。僕がイーグルスに入った当時、サンゴリアスにはいつもボコボコにされていたので、そういう未来はとても描けませんでした」

──イーグルスでのキャリアとは別に、2017年と2022年には日本代表入りのポテンシャルを持った選手で構成されるNDS(ナショナル・デベロップメント・スコッド)に選ばれ、代表への道が開けた時期がありました。

「ジャパンは僕には縁がないものだと思っていました。ただ、特に直近5シーズンは沢木さんが来て、佐々木隆道さん(元アシスタントコーチ)も来て、自分自身ラグビー選手として、また人間として成長できたと感じています。
沢木さんの2シーズン目(リーグワン2022シーズン)は公式戦にしっかり出ることができて、パフォーマンスも上がり、その結果NDSに選んでもらいました。本当にうれしかったです。
NDSのメンバーで行く(日本代表としてテストマッチに臨む)ことになったウルグアイ戦(2022年6月18日の第1戦)で初キャップが獲れるかな、と思っていたのですが、その前の試合(同年6月11日、EMERGING BLOSSOMSの一員としてTONGA SAMURAI XVと対戦)でケガをしてしまいました。キャップが獲れなかったのは悔しかったですが、もう少しで日本代表というところまで行けた、僕はその位置にいた、という事実は自信になりましたし、その後も現役を続けていく上で大きな経験になりました」

■プレイヤーの成長を最大限サポートできる指導者に

──今後は指導者の道を目指す、と以前から公言されています。今はまだ具体的なことは決まっていないそうですね。

「高校(母校の伏見工業高校。現京都工学院高校)へ戻って教えられたら一番いいと思っていますが、採用試験もありますし、僕が望んでできることでもないので、そのあたりは決まっていません。あまりそこにこだわらないようにして、いろんな年代に指導できるようになれば僕の(コーチングの)幅も広がると思いますので、そのための勉強をしっかりしていきたいです」

──教え子に対して悔しい思いや心残りをなるべく味わわせないような指導をしていきたい、とも以前おっしゃっていました。

「『もっとこうしておけばよかった』という後悔を少しでも残さない指導ができるような、(教え子たちと)一緒に成長していける指導者になりたいです。プレイヤーは指導者によって大きく変わると思っています。実際、沢木さんがイーグルスに来てからは僕ができていないことをたくさん指摘されて、それによって僕は成長できたと思っています。もちろん褒めるところは褒めないといけませんが、厳しく接することも必要です。そのバランスを取りながら、プレイヤーの成長を最大限サポートできる指導者になれればと思います」

──可能性として、リーグワンなどの指導者の道もあり得るのでしょうか?

「もちろんそのようなトップカテゴリーのデベロップメント、つまり若い選手に対してのコーチングは必要だと考えていますし、興味はあります。いつかはそういうこともできればと思っていますが、本当に(カテゴリーへの)こだわりはありません」

──山口良治先生(伏見工業高校ラグビー部元監督。元日本代表)にも報告や相談をしたのでしょうか?

「僕自身は山口先生とそこまで連絡を取り合えてないのですが、お会いしたら『元気か』といつも言ってくださるので、報告だけはしっかりしないといけないと思っています」

──最後に、これまで11シーズンで112キャップを重ねてきた嶋田選手にとって、あらためて横浜キヤノンイーグルスはどんなチームでしたか?

「チームを愛する、組織を愛する、そんな思いが満ちていたチームでした。もちろん僕自身、イーグルスに入った時から『チームのために』という思いを持っていましたが、それがどんどん強く、深く、濃くなっていきました。
特に沢木さんが来てからは全員のチーム愛が増していました。試合に出られない選手たちも出るメンバーを全力でサポートしてくれましたし、メンバーは彼らのことも背負いながらプレーしていたので、本当に愛情あふれるチームだったと思います」


入団以来、移籍は一度も考えず「引退するならこのチーム」と心に決めていたという"ワン・クラブ・マン"嶋田直人。イーグルスに注ぎ続けた愛情はチームの血となり、骨となり、肉となり、カルチャーへと昇華した。誰もがそう感じていたからこその胴上げだったのだろう。

新たな道へと進んでいく功労者の次なる旅路を、これからも感謝を込めて応援し続けたい。

(取材・文/齋藤龍太郎)

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