SO喜連航平選手インタビュー
「いろいろなことを要求されるのは実はすごく幸せなこと」
雌伏の時を過ごした期待の司令塔が、横浜キヤノンイーグルスで開花を目指す。SO喜連航平。幼少期はCTB梶村祐介と、大学時代はWTB山田聖也やPR松岡将大と、そして昨季まで所属していたNTTコミュニケーションズシャイニングアークス(東京ベイ浦安。チームは現浦安D-Rocksに継承)ではSO小倉順平、No.8アマナキ・レレイ・マフィとともにプレーするなど、以前からの仲間が多いチームへの移籍となった。
喜連のこれまでのラグビーキャリアはケガとの戦いでもあった。度重なる負傷を乗り越えつつ、社業も含めてその状況下でできることに邁進してきた。喜連の紆余曲折のラグビー人生、そしてこれからの展望を語ってもらった。
(取材日:2022年9月16日)
■かつての仲間との再会に「知っている選手のサポートは大きい」
──イーグルスでの練習がスタートしました。
「実感として、やはりシャイニングアークスとはプレースタイルが違うと思いました。ハードに動いてアグレッシブアタッキングラグビーを遂行しています。今シーズンは『WINNERS MINDSET』をチームスローガンに掲げて、アタックはもちろんディフェンスもアグレッシブに、そしてハードに取り組んでいます」
──移籍の発表は8月1日と比較的直近の時期でした。
「8月から始動しましたが、最初の練習は週に1回だけでした。初週は調整期間だったので、実質的なスタートは9月です。最初はチームに溶け込むというよりは自分をしっかりチームに慣らしていく時間の方が長かったのですが、9月に入ると他の選手と喋る機会も多くなっていきました。やっと選手の人となりやチーム像がわかってきたところです」
──アマナキ・レレイ・マフィ選手、小倉順平選手、ルテル・ラウララ選手はシャイニングアークスでチームメイトでした。彼らとはどういう話をしましたか?
「『前のチームとはスタイルが違うやろ』と話しかけられました。練習がハードだという話は事前に聞いていましたし、何があっても声をかけてくれたりサポートをしてくれるので、知っている選手がいるのは大きいですね」
──新キャプテンの梶村祐介選手とは幼馴染だそうですね。
「祐介とは伊丹ラグビースクールで幼稚園から一緒でした。小学生になると祐介がキャプテンをやったり僕がキャプテンをやったりしながら、プライベートではずっと遊んでいました(笑)。今回は祐介がキャプテンになったので何だか変な感じがしますが(笑)、楽しみです」
──梶村選手はどんなタイプのキャプテンだと思いますか?
「口下手ですけど背中で引っ張っていくタイプかなと思います。子どもの頃の祐介は体が大きかったからキャプテンに選ばれたんです。その後はキャプテンにならずに過ごしてきましたが(報徳学園高校、明治大学で副将)、がんばっているなと思って見ていました」
──移籍後、梶村選手とは何か話をしたのでしょうか?
「もちろんラグビーの話もしましたし、いろいろ雑談もしましたね。僕はシャイニングアークスでの4シーズンは社員選手で、イーグルスで初めてプロ選手になりましたので、そのあたりの話もしました。イーグルスの一員としてもプロ選手としても祐介は先輩に当たるので、頼りがいがあります」
■社業に邁進しながらも「ここで勝負しなかったら後悔するんちゃうかな」
──中学時代は伊丹ラグビースクールの一員として全国中学生大会に出場されました。
「決勝でつくしヤングラガーズに負けて準優勝でした。強かったです」
──大阪桐蔭高校で活躍され、3年時はキャプテンを務めましたが、全国高校大会でケガを負いながらもチームはベスト4まで進出しました。
「春の高校選抜大会で初優勝した結果、シードに入ったこともあって花園(全国高校大会)ではどこか浮き足立っていました。負けそうになった試合で無理をしたら左前十字靭帯断裂、半月板損傷の重傷を負いました。ピッチには立ちましたが、その状態でジャージーを着ること自体、正直いいことではないなと思っていました。」
──当時のその経験が、今の現役生活にも生きている部分はありますか?
「まず、無理をするのはよくないということですね。ただ、その場でしかできない体験ではありますので思い出としてはよかったとは思います。今につながっていることとして言えるのは、やはりチーム構成、主軸選手の重要性ですね。その後の近畿大学の4年間でもそれを感じながら活動していました」
──近畿大学でも4年時にキャプテンを務めました。
「もっと強い大学に行く選択肢もありました。ラグビーのスキルをさらに伸ばすことができたでしょうから後悔はあるのですが、『ラグビーめっちゃ好き!』『絶対に優勝したい!』という思いの薄い選手たちとラグビーを通してどう向き合っていくか、という強豪校では得られなかっただろう貴重な経験をしました。チームをどう変えていくかスタッフの方々とも話しましたし、挫折もたくさんしましたが、そういう経験ができてよかったと今は思っています」
──昨シーズンの近畿大学は関西大学Aリーグで2位、全国大学選手権は惜しくも4回戦敗退となりましたが、大健闘の1年となりました。
「めちゃくちゃうれしかったですね。スタッフのこれまでの積み重ねと、選手の変化による結果です。あり得ないほどすごいことです。その選手たちは僕の代とは入れ違いで重なっていませんが、それこそ僕の1学年下の後輩のWTB山田聖也が4年生の時はすごく強かったですし、その下にはPR松岡将大がいました。彼らのようにがんばっている選手がたくさんいましたので、下の世代に受け継がれていったものがあるのだと思います」
──近畿大学OBの絆は強そうですね。
「大学2年の時に高校でのケガが完治して戦列に復帰したのですが、当時1年生だった聖也はすでに試合に出ていました。ずっと一緒にがんばってきた仲なので、今回のイーグルスへの移籍が決まった時は真っ先に聖也に連絡しました」
──社会人になっても、苦い思い出も含めて大学での経験が活きているわけですね。
「生きていく力が身につくという意味では、挫折を繰り返している強くない大学の出身選手の方が絶対に強いと思いますし、NTTコミュニケーションズの社員になった時も自分で学んできたことが活かせているなと感じていました」
──その経験が社業にも活きたということですね。
「シャイニングアークスに入って期待してもらっていた矢先に前十字靭帯が切れてしまいました。復帰まで時間がかかるので、その間に社員選手として前例のないほど社業と両立するスタイルを自分なりに確立しようと考えたのです。ですからシャイニングアークスでの4年間は会社員のラグビー選手としてとにかくがんばった、そんな期間でした。チームにとってどういう行動をすればいいか、ということを考えながらチームの裏方に回りましたが、それが学びにもなりましたし、最終的にはみんなで一つになって前に進み、選手会長もやらせていただきました。ずっと在籍し続けるという考え方もありましたが、もうひと花咲かせたいという思いが強くなっていき、『ここで勝負しなかったら後悔するんちゃうかな』と考えるようになって、イーグルスへの移籍を決意したわけです」
■環境が変わったことで「また選手として成長できる」
──本格的な練習はまだ始まったばかりですが、イーグルスで成長できそう、もしくは成長できているなという感触はありますか?
「はい、そう感じています。シャイニングアークスとは考え方などが違いますし、こうしてチームを変えることでまた選手として成長できるだろうと思っています。あとはいかにチームにコミットしていくか、です。足りないスキルも多いですし、これからも要求されることがどんどん出てくると思います。でも沢木(敬介)監督たちからそう言ってもらえることは実はすごく幸せなことだと思っています。チームがよくなる方向に導けるSOが必要ですし、そのためにはスキルもナレッジも必要です。求められることをしっかりインプットしていかなければ、と思っています」
──同じSOの田村優選手とは何か話はされましたか?
「8月の自主練の時に少しお話しししました。イーグルスの文化について話したり、選手の入れ替わりもある中で『移籍はいい選択肢だね』といったことも言ってもらいました。練習中も教えてほしいことがあれば聞きながら、できるだけ吸収するようにしました」
──音声配信やラグビー教室など、積極的にファンを巻き込んだ取り組みをされていますね。
「それこそケガで離脱していた間、何かチームを手助けできるかなと思った時に、選手としてファンに喜んでもらえることは山ほどあるなと考えました。選手とファンの間でしっかり確立できるものはないか、と考えて始めたのが『stand.fm』でのトークの配信でした。『きーるの大人ラグビー教室』は、大人の方にもラグビーをやっていただいたらもっとラグビーの楽しさがわかるだろうと思って、トライアルで開催したら好評だったんです。みなさんに求められることはどんどんした方がいいと思っています」
ラグビープレイヤーとしてだけでなく、その組織において何が最善かを考え、時には裏側に回り全力でバックアップする。しかし選手として表舞台に立つための準備も怠らない。喜連のアンテナは全方位に向いている。
目指すのはもちろん先発10番の座だ。それが実現した時、イーグルスにどんな変化をもたらすのか。喜連航平の今後から目が離せない。
(インタビュー&撮影:齋藤 龍太郎)