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2025.10.03
INTERVIEW

PR 知念雄選手 インタビュー

まずはみんなに『イーグルスっぽい選手だな』と認められたい

ハンマー投の高校王者でありながら、短いラグビー歴でたちまちトップリーグ(当時。現リーグワン)の舞台に立つようになり、すぐさま日本代表にまで上り詰めた異色のキャリアの持ち主が、このほど横浜キヤノンイーグルスの一員になった。

PR知念雄。東芝ブレイブルーパス東京でトップ選手としてのキャリアをスタートさせ、三菱重工相模原ダイナボアーズを経て今季からイーグルスへ。その間、わずか11年。トップ選手では類を見ない短い競技歴ながらその存在感は大きく、イーグルスでも貢献が大いに期待されている。

誰にも真似できないラグビー歴、スポーツ歴とともに、今の思いを聞いた。


■スタンダードが高いからこそ要求に応えたい

──イーグルスで最初に活動を始めたのはいつごろですか?

「7月に個人トレーニングを始めました。9月に全体練習に入る前、イーグルスのホームページを見ていて若い選手が多いと感じていたので、最初は『どうやってコミュニケーションを取ろうかな』と考えていたのですが、面識がある選手も何人かいましたし、入ったら入ったでいい人たちばかりなので、今はとてもやりやすいです」

──古巣のブレイブルーパスで一緒だった選手もいますね。

「UBK森勇登、FL/NO.8シオネ・ラベマイとプレーしていたので、彼らとは『また一緒によろしく』と話しました。勇登とは年齢が離れていますが、彼がアーリーエントリーで入ってきてからはよくコミュニケーションをとっていました。シオネはポジションが近いことと、僕と『顔が似ている』と周りからいじられていたこともあって(笑)とても仲がよかったです」

──イーグルスには沖縄仲間もいます。

「WTB/FB普久原琉は地元(沖縄市)も一緒なんです。移籍が決まったころに彼とSO田村優さんと3人でご飯を食べに行きました」

──昨シーズン、イーグルスからダイナボアーズに移籍した2人のPR、安昌豪選手と津嘉山廉人選手とは何か話をされたのでしょうか?

「イーグルスは『めっちゃ走る』という話は聞いていました。ブレイブルーパスもダイナボアーズも走力がベースにありましたが、イーグルスもそうでしたね。さらに、イーグルスはみんなスキルが高いというイメージを持っていて、実際に入ってみて『考えていたとおりだな』と思っています。毎日ついていくのに必死です」

──これまでのチームのトレーニングも相当ハードだったと思いますが、イーグルスの練習強度も高いですか?

「キツいですね(笑)。レオン(・マクドナルド ヘッドコーチ)の実績を考えると当然なのですが、彼が求めているスタンダードは高いです。だからこそその要求に応えたいという気持ちが強くなります。練習時間がそこまで長くないぶん密度が濃く、いい意味での緊張感がありますね」

──そんなマクドナルド ヘッドコーチをはじめとするコーチ陣とはどんな話をしていますか?

「コーチと僕、4対1で話したのですが、強みやマインドセットについて、またどういうところで貢献したいか、といったことを聞かれました。まずはセットピース、そしてフィジカルが強みなので体を当ててしっかり前に出るところでチームに貢献したい、と伝えました」

──祝原涼介選手が日本代表デビューを果たすなど、イーグルスのタイトヘッドPRの争いはハイレベルです。練習ではどう感じていますか?

「スクラムには長くイーグルスでプレー続けているHO庭井(祐輔)がいて、その両側にPRがいるわけですが、同じタイトヘッドPRの杉本達郎も松岡将大もかなり能力が高いですし、そもそもみんなの会話のレベルが高くて、FWとして今まで積み上げてきたものがすごく分厚いなと感じています。僕自身も一緒に成長できていと実感していますし、毎週(成長を)積み上げていけば本当にいいスクラムが組めるようになるはずです」

■「あの人たちと仲間になれたら楽しいだろうな」と思いラグビーに転向

──子どものころから様々なスポーツを経験されたと聞きました。

「小学校では野球と相撲と水泳、中学ではバスケットボールをやって、高校は陸上部でした。どれも親が選んだ道ですが、野球だけは自分でやりたいと思って選びました。相撲は当時、泣きながら通うほど嫌でしたが、今考えるとやっておいてよかったです」

──相撲の経験はスクラムに生きましたか?

「そうですね。(後にラグビーを始めて)スクラムを組むときに人の顔が近づいてくるのがそんなに気にならなかったので、相撲で慣れたのかもしれません」

──ご自身の意志で始めた野球への熱意はどうだったのでしょうか?

「小学生から強いチームに所属してそれなりに打っていたので、メジャーリーグを目標にしていました。余談ですが、今夏の沖縄尚学高校の甲子園優勝はとてもうれしかったです」

──高校ではハンマー投を始めました。

「ハンマー投に限らず投擲はまんべんなくやる、というのが父(円盤投の元日本王者)の方針でした。やり投だけは下手ですぐに辞めたのですが、他の3種目(砲丸投・円盤投・ハンマー投)を続けていたら一番飛んだのがハンマー投だったんです」

──ハンマー投でインターハイと国体の両方で優勝したそうですが、当時は「これからもハンマー投げをやっていく」と考えていたのでしょうか?

「はい。オリンピックに出たいと思っていました。(順天堂大学~大学院)進学後に東京オリンピックの開催が決まり、『そのころには30歳になるから年齢的にちょうどいいな』と考えていました」

──そんな折、大学4年時に順天堂大学ラグビー部の試合に助っ人で出場されたそうですね。

「ラグビー部に仲のいい友達がいたのですが、ラグビー部は人数が少なくて、1年のころから『ラグビー、絶対にできるから来い』と言われていたんです。僕はハンマー投で、推薦で大学に入ったのでそういうわけにもいかず、それでも『4年の全大会が終わったらラグビーしに行くよ』と口約束しました。PRはさすがに首が危険なので、LOで試合に出場していました」

──それでもハンマー投を続けたわけですね。

「はい。同じ環境でハンマー投を続けるために大学院に進んで競技を続けたのですが、ラグビー部も『大学院生でも試合に出られる』ということだったのでラグビーの試合にも出続けて、計2シーズン、4部リーグでプレーしました。そのころに僕の噂が出回ったようです」

──噂、ですか。

「4部リーグで120kgの男がラグビーボールを持っている、なんてあり得ない話ですからね(笑)。当時はパスができなかったので『ボールを持ったらパスしなくていいから』と言われていて、前に相手の選手がいても(ものともせず)30mくらいはまっすぐ走ることができました」

──ラグビー界としては放っておけない人材です。

「当時、駿河台大学と対戦したときにその監督の松尾勝博さん(元日本代表SO)から『絶対にラグビーやった方がいいよ』と熱い言葉をいただきました。僕も『やりたいですね』と答えながらもハンマー投を続けるつもりでしたが、松尾さんが薫田真広さん(元日本代表。元東芝監督。現東芝ブレイブルーパス東京代表取締役社長)に連絡したようなんです」

──松尾さんとの出会いが運命を変えたと言えます。

「大学院1年の終わりごろ、たぶん12月に松尾さんと薫田さんが会って話したそうで、正月明け、沖縄から帰ってくるときにブレイブルーパスから『ちょっと練習に来てください』と電話がありました。何かの間違いではないかと思ったのですが、大事な時期の1月に2回、練習に行くことになりました」

──急転直下ですね。

「2回目の練習に行ったとき、選手たちの雰囲気がとてもよかったんです。そこで『この人たちと一緒にやりたい』という思いが強くなりました。ラグビーがやりたい、というよりは『あの人たちと仲間になれたら楽しいだろうな』という思いでした。その時点で、楽しさという意味ではラグビーがハンマー投をすでに超えていたんです。そして2014年、ブレイブルーパスに練習生として入りました。正式に入った後も『レギュラーになる!』という思いはなく、入れてもらっただけでありがたいと思っていて、3年やって1試合も出られなければ自分から辞めるつもりでした。それでも入社1年目の途中から少しずつ試合に出させてもらうようになり、毎試合、ラグビーが楽しくなりました」

■自分がどれだけみんなに認めてもらえるようになるか

──2016年には日本代表デビューを果たしました。驚異的な成長スピードです。

「あのときはメインの代表選手がサンウルブズ(当時のスーパーラグビーのチーム)として活動していたので、正式な代表とは少し違うという状況ではあったのですが、そもそも選ばれるとは思っていなかったのでびっくりしました」

──2022-23シーズンからはラグビー選手として大きく成長を遂げたブレイブルーパスを後にして、ダイナボアーズへ移籍します。

「ブレイブルーパスでは試合に出させてもらってはいたのですが、先発に定着していたわけでもなく『自分は伸びているのか。こんな悶々とした気持ちでラグビーを続けていいのか』と考えるようになりました。そんなときにダイナボアーズからお話をいただき、今しかない、と思って移籍しました」

──そして今季、イーグルスという新天地で新たなチャレンジを始めました。

「環境が変わりゼロからのスタートになりましたが、そこから自分がどれだけみんなに認めてもらえるようになるか、が一番のチャレンジだと思っています。試合に出る、出ない以前に、まずはイーグルスの選手、スタッフ、関わる方々に『こいつ、イーグルスっぽい選手だな』と認められたいです」


ハンマー投からラグビーに転向し、トップ選手へ。ほとんど例のない転身は知念選手自身の身体能力や素質はもちろん、転機となる瞬間を見逃さずに捕らえる能力、得たチャンスを生かす実行力の賜物と言えるだろう。

ラグビープレイヤーとしてだけでなく、人生経験においても他の選手にいい影響をもたらしそうな知念雄の、新たなチャレンジから目が離せない。

(取材・文/齋藤龍太郎)

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