コーバス・ファンダイク選手 引退インタビュー「自分の役割に100%コミットする文化を受け取った」
「献身」。世界に冠たるラグビー強豪国・南アフリカからやってきた真摯な仕事人のプレースタイルを日本語で端的に表現するならば、その二文字が最もふさわしいのではないだろうか。
コーバス・ファンダイク。横浜キヤノンイーグルスで5シーズン、あらゆる場面で文字通り身を粉にしてプレーし続けてきた不世出のFLは、今シーズンの戦いを終えた今、ラグビーのピッチから去る決断を自ら下した。母国の家族、そしてその家業に思いを馳せた結果の決断だった。
年々成長するチーム、選手、そして自分自身を見つめてきたファンダイク選手にとって、イーグルスとはどのような場所だったのだろうか。現役引退を決めた理由や今後についても聞くうちに、チーム全員からリスペクトされていた彼の実直な人間性が伝わってきた。
■「イーグルスにいたい」という気持ちもあり決断は難しかった
── 長いシーズン、大変お疲れ様でした。今回のインタビューに先立ち、今シーズンをもって現役を引退されるという話をうかがいました。
「はい。ラグビーのキャリアそのものを終える決断を下しました」
── 年齢の面でもパフォーマンスの面でも引退するにはまだ早いように思えますが、決断された理由をお聞かせください。
「私の母国である南アフリカの家族が牧場のビジネスをしているのですが、それを手伝うために帰国することにしました。それが自分のラグビーキャリアを終わらせる理由です。日本でラグビーをするのがすごく楽しかった時期もありましたが、やはり以前から自分がやりたかったファーマーのビジネスを手伝うために帰国し、今後は家族をサポートします」
── ご家族がファーマーであることを以前から誇りに思っていたそうですね。
「自分の心の中ではラグビーとファーミングが入ったり来たりしていた時期があり、大学でも4年間、酪農の勉強をしていました。ラグビーを終えた後にその学位を使って、自分がやりたかったファーミングの世界に戻ろうと考えていたのです」
── ご家族が主に取り組んでいる分野をお教えいただけますか?
「メインは穀物で、家畜を育てる酪農も行っています」
── そういう意味では引退はむしろ自然な流れだったのでしょうか?
「イーグルスからは『まだいてほしい』と言っていただき、自分自身も『イーグルスにいたい』という気持ちもありましたので、今回の決断は簡単なものではありませんでした。もしここ(イーグルス)にいるとすれば『あと2年はがんばろう』とも思っていたのですが、やはり家族といろいろ話をしたうえで母国に戻る意志を固めました」
── 日本で5シーズン過ごされましたが、ファンダイク選手が入った頃のイーグルスと今のイーグルスはどのように変わりましたか?
「特に沢木敬介監督がイーグルスに来てからチームが変わったと感じています。選手の信念やチーム全体のメンタリティも私が最初に来た当時とは大きく変わりました。もともとは下からはい上がってきたチームですが今やトップ4に食い込むようになり、準決勝では埼玉パナソニックワイルドナイツと互角に戦うことができるチームに成長しました。チームのキャラクターがどんどん構築されてきたことも大きな変化だと思っています」
── ワイルドナイツとの準決勝での活躍も楽しみでしたが、残念ながら急遽欠場となりました。
「トヨタヴェルブリッツ戦(第15節)で首を負傷し、セミファイナルに向けて(その回復も含め)準備してきたのですが、試合前のウォームアップで再び痛めてしまい、直前に出られなくなったのです。自分のキャリアを高い状態で終わらせることが目標だったのでピッチに立てなかったのはすごく残念でした。でも、イーグルスの選手が全てを出し切り、ワイルドナイツが予想できなかったほどのショックを与えました。自分の突然の欠場による無念は、みんなが活躍している姿を見ていたらどこかへ行ってしまい、彼らを全力でサポートしようという気持ちに切り替わっていました」
── どの選手も素晴らしいパフォーマンスでしたが、ファンダイク選手に代わって6番に入ったミッチェル・ブラウン選手のプレーはいかがでしたか?
「あの準決勝は彼がイーグルスで過ごした2シーズンの中でもベストパフォーマンスだったと思いますし、ピッチで一歩一歩ステップアップしていく様子を感じ取ることができました。彼の活躍を心から誇りに思います」
■この経験をいずれは母国のラグビーの未来につなげたい
── 母国のウエスタン・プロヴァンス(カリーカップ)やストーマーズ(当時スーパーラグビー。現ユナイテッド・ラグビー・チャンピオンシップ)でのプレーを経て、イーグルスへ移籍するに至った経緯や当時の思いをお聞かせください。
「ストーマーズと大学で一緒だった友達のLOジャン・デ・クラークがイーグルスでプレーしていたことが大きく影響しました。日本のいいところなどラグビー以外のことを彼から聞いているうちに日本に興味が湧いてきました。自分自身も『海外でプレーしたい』という思いがあり、ヨーロッパという選択肢もあったのですが、最終的には日本へ行くことにしました」
── 移籍1シーズン目は新型コロナウイルスの世界的流行が重なってしまいました。
「今では居心地のいい場所ですが、最初のシーズンはその影響で6試合しかプレーできず(第6節をもって打ち切り)非常にタフなシーズンでした。ただ、南アフリカの選手もいましたので、チームへのフィット自体は順調でした」
── ラグビーのカルチャーの違いを感じましたか?
「イーグルスのカルチャーを南アフリカのラグビーのそれと比べると少し違った部分がありましたが、決してネガティブな違いではなく、いい意味での違いを感じていました。また、国内旅行に行って現地の名物を食べるなど、日本の文化そのものを経験するようになりました。今ではすっかりローカルな生活にフィットして、こうして日本で生活できています。それも大きな変化ですね」
── 当然ながらラグビーの腕も磨き続け、2022年シーズンはリーグワンの初代ベストフィフティーンの一員となりました。
「チーム全員がハードワークしたからでもありますが、自分個人もチームに貢献するためにハードワークしました。その両方が重なり合ってベストフィフティーンの受賞につながったのだろうと思っています」
── そのようなハードワークを続けてきたことで、ファンダイク選手自身も成長や変化を感じた5シーズンだったのではないでしょうか?
「はい。毎週のように成長を感じていました。自分がしないといけないタスクや向上させないといけないことに取り組んで成長してきたこの経験を、いずれは母国のラグビーの未来につなげたいと考えています」
── 常にチームに貢献してきたファンダイク選手について、同じFLの嶋田直人選手は「彼とプレーできることを誇りに思う」と、ある試合の後に語っていました。
「シマがそう言ってくれたのはすごくうれしいです。チームに貢献していること自体、僕自身も誇りに思いますし、日本語でしゃべることによって日本人選手とのコミュニケーションがすごく活発になりました。彼らが何をどう考えているかを理解できて、すごく誇らしいです。特に最後の3シーズンは日本の文化と言語をよく学ぶようになり、日本人が考えていることを理解できるようになったと自負しています」
── あらためて、ファンダイク選手にとってイーグルスとはどういう場所でしたか?
「イーグルスはもちろん、日本へ来たこと自体が自分にとって人生のレッスンとなり、多くのことを学びました。日本人には自分の役割に対して100%コミットするという文化が根付いており、それを一人ひとりが誇りを持ってやっていると知りました。それこそがこの場所で培い、受け取ったものだと思っています」
自身の考えや実感を丁寧に語ってくれたコーバス・ファンダイク選手。終始、そのキャラクターがよく表れていたインタビューとなった。イーグルスで、そして日本で多くのことを学び、手に入れたと語っていた一方で、イーグルスやファンのみなさんこそ彼のプレーや人柄から多くのものを受け取ったのではないだろうか。
母国での第二の人生の成功を、末永い幸せを、願わずにはいられない。
(取材・文/齋藤龍太郎)