NEWSニュース

2026.05.28
INTERVIEW

【引退選手インタビュー】PR 知念雄

「生涯を通じて付き合っていきたいと思える仲間がまた増えた」

ハンマー投げの高校王者として世界を夢見た投てき競技の逸材が、23歳で始めたラグビーで頭角を現し日本代表にまで上り詰める──。そんな異例のキャリアを誇る、横浜キヤノンイーグルスに今シーズン移籍してきたPR知念雄が現役生活を終えた。

順天堂大学・大学院時代に"助っ人"としてラグビー部に駆り出され、ハンマー投げから本格転向し、東芝ブレイブルーパス(東京)でラグビーの腕を磨き始めると、たちまち日本代表6キャップ。さらなる向上を目指した三菱重工相模原ダイナボアーズに続いての移籍に、知念は開幕前から闘志を燃やしていた。しかし体は限界を迎えつつあったという。

イーグルスでリーグワン公式戦出場を果たせなかった無念。練習でスクラムの強化に貢献し続けた結果の収穫。そして結果として現役ラストシーズンとなったイーグルスで得たものとは。唯一無二の経歴を持つ知念が選手として最後のインタビューに応じた。

(取材日/5月12日)


現役ラストゲームであらためて「いいチームだな」と思った

── シーズンを終えて、現役引退を決断された今の心境をお願いします。

「最後の週の練習でも特別なことは感じませんでした。一日一日、できることを悔いのないようにやってきたので、それは(現役最後まで)できたのかなと思っています。ただ、イーグルスに今シーズン移籍した時点ではまだ(引退を)決めておらず、ただただ目の前のことだけをやり続けてきました。年齢も年齢なので、そういうこと(いつまで現役を続けるか)はここ数年考えてきて、このまま選手を続けるのか、それとも違う道に行くのか、ということを見据えて家族とも話しながら過ごしてきました」

── 最終的には今シーズン限りでの引退という選択をされました。

「そう決意したわけではないのですが、正直に言うと体自体は動くものの、プレシーズンのころから首が万全な状態にならず、多少無理しながらやっていました。 指先にしびれを感じたり、肩も上がらなかったりで『もしかしたらそろそろかな』と思うようになりました。もともと自分の形でスクラムが組めなくなったらその時(引退)だとぼんやり考えていました」

── 引退後のことも併せてお考えだったのでしょうか?

「はい。教員として流通経済大学付属柏中学・高校に教員として勤めることになりました。もともと両親が教員で、僕自身も大学時代に中学・高校の保健体育の教員免許を取得していましたので、『いずれは教員をやってみたい』と考えていたタイミングで相亮太先生(同校ラグビー部監督。元リコーブラックラムズ)からお話をいただき、中学で授業を受け持ちながら高校のコーチをすることになりました。東芝ブレイブルーパス東京時代にLOワーナー・ディアンズ(流通経済大柏高出身。日本代表キャプテン。現ハリケーンズ)が入ってきたときにお会いしたことがあり、当時いとこがお世話になっていたというご縁もありました」

── ハンマー投げからラグビーまで見守ってこられたご両親もずっと知念選手を応援されていたのではないでしょうか?

「そうですね。毎試合ではありませんが東京開催だけでなく、地方の試合にも時々来てくれました。僕は公式戦に出られなかったのですが、それでもイーグルスの試合に足を運んでくれたので、本当に感謝しています」

── 体の面では多少無理していたということですが、特にシーズン後半にイーグルスを勢いづかせたスクラムについて、練習での感触はいかがでしたか?

(第15節浦安D戦でのスクラム)

2度目の浦安D-Rocks戦(第15節)の週のスクラム練習が特に印象に残っています。 僕はメンバーからスクラムを受ける側でしたが、めちゃくちゃ圧が強くて、ヒットする前の段階から迫力を感じました。 それも1本だけではなく、その週のスクラムは全部そんな感じで、これなら(試合は)すごいことになるだろうなと感じていましたし、実際に試合でも相手をドミネート(圧倒)していました。 翌週のブレイブルーパス戦でも相手FWを粉砕しましたが、その週も練習がとてもよかったです。もちろん個人がやるべきこと、チームとしてやらないといけないことにはずっと取り組んでいたのですが、(スクラムが)形になったのはそのころだと思います」

── 第15節からの3連勝は、スクラムの進化の成果と言えそうです。

「間違いないですね。スクラムは試合を安定させ、相手との差をつけるためにも欠かせないもので、練習でもごまかしが利きません。ただ、練習でスクラムがよくなければ試合でうまくいくはずもなく、逆に練習でうまくいっても試合では相手も対策してくるのでうまくいくとは限りません。それでも(試合でいいスクラムを組むための)準備をしっかりと1週間かけて取り組み、それをシーズン通してやっていくことが大事なんだなとあらためて感じました」

── 知念選手がその力を発揮されたのが、4月4日(土)の埼玉パナソニックワイルドナイツとの公式戦の前に行われた練習試合でした。3番で先発出場し28-24での勝利に貢献されました。

「チーム事情もあって僕は80分間出場しました。いつ以来のフル出場か覚えていないのですが、ヘロヘロになりながらもとにかく走り続けました。苦しいシーズンを過ごすなかでもライザーズ(メンバー外の選手たち)の価値を示し、ライザーズからチームに勢いをつけるという意識で以前から練習試合に挑んでいましたので、この試合もお互いBチームであることなど関係なく『絶対に勝つ』と高いモチベーションを持っていい準備をして臨みました。みんなで体を張りいいタックルをして、僕も80分間走り続けたのでめっちゃしんどかったですけど、お世話になった安井さん(FL安井龍太)の復帰戦でもありましたし、同い年の天野(SH天野寿紀)がウォーターボーイとしてみんなに熱い言葉をかけてくれたので、現役ラストゲームがいい結果に終わって本当によかったです。あらためて『いいチームだな』と思いました」

── 公式戦での出場はかないませんでしたが、心からそう思えたということですね。

「もちろん、イーグルスのジャージーが着たくて移籍してきたのですが、どの選手もみんな素晴らしく、練習でその権利を勝ち取っていました。スクラムなどでも後輩たちとお互いに高め合えているなと感じていましたし、もちろんメンバー発表では(自分の名前がない)悔しさは正直ありましたが、胸を張って送り出せるメンバーばかりでした。自分は自分にできることをやっていこうと常に刀を研いでいました」

── 今シーズン、新たな環境下でPRの一人としてスクラムにおけるプレーの幅が広がった感覚はあったのでしょうか?

「そうですね。これまでは『自分がどうやって組むか』ということばかり考えていたのですが、(隣の)HOも含めてお互いどう組むのが一番いいのか、(第2列からフロントローを押す)LOに何を求めるか、といったことを話し合える関係になったことで、自分一人だけの仕事ではなくFW全体の仕事に自分がどう影響しているのかを考える時間が空増えました。これまでのチームのFWでもそういう話はしていたのですが、その内容がより深くなったなと感じています。みんなで映像を見る際も他の選手が『あ、そこを見ているのか』と感じることもあり、いろいろな発見がありました」

選手としてよりも一人の人として魅力的な人間を育てていきたい

── ハンマー投げからのラグビー転向、そしてブレイブルーパス、ダイナボアーズ、イーグルス、日本代表と常に国内トップレベルで戦ってきたなかで、特に印象に残っているのはどの瞬間でしょうか?

写真提供:東芝ブレイブルーパス東京

「真っ先に思い出すのはブレイブルーパスで最初に出た公式戦ですね(2015年11月28日のトップリーグ2015-2016リーグ戦第3節。後半31分からルースヘッドPRとして途中出場)。エコパスタジアムで相手はHonda HEAT(現 三重ホンダヒート)でしたが、ラグビーを始めた当時は公式戦に出られるとは思ってもいませんでした。もちろん出られるようにやっていましたが、簡単なことではないと覚悟していました。だからとにかく緊張したことも、父がわざわざ見に来てくれたこともはっきりと覚えています。『俺、ラグビー選手になったんだな』と実感できた瞬間でもありました」

── ダイナボアーズ時代はいかがですか?

写真提供:三菱重工相模原ダイナボアーズ

「移籍1シーズン目(リーグワン2022-23)は開幕前の練習試合で負傷して『またラグビーできるのかな』と思うほど悪い状態に陥ったのですが、2シーズン目のイーグルス戦(リーグワン2023-24第4節)で復帰できました。いろいろな方のお力もあって、またラグビーができるようになった試合でした」

── 日本代表に関してはいかがでしょうか?

「どちらかというと悔しい時間の方が長かったですね。2016年の初選出のときは初めてのことだらけで、毎日新しいものを見ているような刺激的な日々でした。でも、2017年にジェイミー(ジェイミー・ジョセフ前日本代表ヘッドコーチ)に呼ばれたときは、自分が代表のレベルに全然達していないことに気づいて、練習でも毎日(対面トイメンの選手に)負けていました。コーチのみなさんは期待してくれて細かく指導していただいたのですが、ブレイブルーパスで揉まれていた一方で、まだまだ代表クラスにはなれていないと思い知った期間でもありました。もちろん、勉強になりましたし『このままじゃいけない』という思いが一層強くなった記憶があります。今思えばいい時間だったと思いますね」

──ラグビーキャリアの実質的なスタート地点となったブレイブルーパスの恩人、薫田真広さん(元選手・監督・GM。現代表取締役社長兼GM)とは引退についてお話しされましたか?

「今シーズン終盤に古巣のブレイブルーパス、ダイナボアーズと試合が続いたので(第16節・第17節)、まずブレイブルーパス戦の日に薫田さんに『引退します』と報告しました。薫田さんのおかげで今もこうしてラグビーをしていますので、感謝の気持ちを直接お伝えできてよかったですし、『本当にお疲れ様』と言っていただきました。教員をやることも伝えるとびっくりしていました。ダイナボアーズのグレン・ディレーニー ヘッドコーチをはじめ、コーチ陣にも直接『お世話になりました』と報告し、『おめでとう。君がダイナボアーズに来てくれてよかった』という言葉をいただきました」

── そのタイミングでの古巣との2連戦は運命的でしたね。

「そうですね。一緒にプレーした選手たち、特にマイケルさん(ブレイブルーパスNO.8リーチ マイケル選手)や三上さん(同PR三上正貴選手)、同期のFL德永祥尭やFL/NO.8山本浩輝も試合に出ていましたし、ダイナボアーズも3シーズン一緒に過ごした選手とコーチばかりでした。まさか3つのチームで、しかもこんなに長くラグビーができるとはまったく想像していませんでした。薫田さんに僕のことを話してくださった松尾勝博さん(元日本代表SO)をはじめ、これまでのご縁に感謝しています」

── そういう試合での連勝は格別だったのではないでしょうか?

「うれしかったですね。みんなで練習してきたことがよく出ていました。特にブレイブルーパス戦は伸び伸びとしたイーグルスらしいアタックが光った、今シーズン一番の試合だったと思います。試合後には、ブレイブルーパスの同期と飲みに行って『俺、今シーズンで辞めるわ』と伝えたらみんなびっくりしていましたが『お疲れ』と労ってもらいました。ダイナボアーズでは、同い年のFL鶴谷昌隆と家族ぐるみの付き合いなので家族でご飯に行って、いろいろな話をしました。彼はまだまだ元気なのでこれからも応援しています」

── あらためてハンマー投げからラグビーに転向しての現役生活はいかがでしたか?

「最初は『大丈夫かな』という不安もありましたが、それ以上に『やってみたい』という好奇心が芽生えて、練習はきつかったですが『これはいいかも』と直感的に思うようになり、今考えたら、今までの人生で一番よかった選択の一つかもしれないですね。もちろん周りの方々に恵まれていたことも大きいです。自分一人の力ではここまでたどり着くことは絶対にできなかったと思います」

── 現役を終えて流通経済大学付属柏中学・高校に行かれるのもまさに「ご縁」と言えそうです。

「おかげさまで教員としてもラグビーに関わることになりますので、このご縁を大事にしていきたいです。最後のシーズンで公式戦に出られなかった悔しさを忘れずに、自分の訓示にし続けます。6月中には教員としての生活が始まり、同じ敷地にある中学と高校のうち、中学では授業を持って、高校ではラグビー部のコーチを担当することになっています」

── これまでの経験をどのように教育の現場に生かしていきたいですか?

「これからは自分が教える側になるわけですが、ラグビー選手としてというよりも一人の人として魅力的な人間を育てていきたいです。ラグビーはいい人間をつくるためのツールになり得ると考えています。僕は大人になってからラグビーを始めましたが、たとえば所属しているチームのため、仲間のため、家族のためにプレーすることがいかに素晴らしいことか、といったことを知ってほしいですし、ラグビーだからこそ学べることがたくさんあると思っています。それを伝えられる人間でありたいです」

近い世代の選手たちの奮闘が「自分もがんばろう」と思える原動力に

── あらためてイーグルスで現役最後のシーズンをどう感じていますか?

「みんなラグビーが好きで、イーグルスが好きだと強く感じました。年齢や国籍の違いを感じない、ただただイーグルスをよくしたい、イーグルスで勝ちたい、という人間がたくさん集まっている素晴らしいチームだったなと思います。僕としてもこの1年だけではなく、生涯を通じて付き合っていきたいと思える仲間がまた増えたことをうれしく思っています」

── 開幕前には沖縄県にルーツがあるSO 田村優選手とFB 普久原琉選手と「沖縄会」を開いたそうですが、その後はいかがですか?

「それこそ昨日も飲んだのですが、沖縄県ゆかりの選手だけでなく、みんなでお酒を飲みに行くことが増えていき、そういうイベントに対してみんながコミットしてくれるようになったので、本当にありがたかったです。有能な外国人選手もたくさんいるチームでしたが、どんなにラグビーが優れていても、人として魅力的でなければコミュニケーションを取ろうという気にはならなかったと思います。でも、僕が接してきた外国人選手はみんな人間としての魅力があって、たとえば『こいつ、いいヤツだな』とか『なんかおもしろいな』とか、そういうところが見えてきて『こいつとラグビーしたいな』と思えるようになった選手ばかりでした。ジェシー(CTBジェシー・クリエル キャプテン)はジェントルマン、FL ビリー・ハーモンはナイスガイで、国籍を問わずコミュニケーションを取ってくれるいい人間が揃っています。やはりそういうことがチームにとって一番大事なことなんだなとあらためて感じました」

── そんなチームで選手としてのキャリアを終えることになりました。

「本当によかったです。年上の田村さんや安井さんもプレーしていましたし、同い年の天野も活躍していて、年齢は1つ下ですが同じ年にトップリーグに入った庭井(HO庭井祐輔)とは一緒にスクラムを組んできましたので、こうした元気にやっている近い世代の選手たちの奮闘が『自分もがんばろう』と思える原動力になっていました」

── イーグルスで学んだことも教育やコーチングに生かしていけそうでしょうか?

「そうですね。常々考えているのは『人の背中を押せる自分でありたい』ということです。そういう人間の輪を広げていきたいと思います。ラグビーに関しても、ただ上手くなるために努力するだけではなく、いいチームになるためには言葉やコミュニケーションが大事なんだと伝えていきたいです。そして、どれだけしんどい状況でも、いかに顔を上げて胸を張って前に進めるかがプレーでもプレー以外においても大切だということを教えていきます」

── 知念選手自身も野球やハンマー投げを経験し、ラグビーに至るという大きな選択をして大成されました。無限の可能性と将来がある子どもたちを勇気づける人生と言えそうです。

「ああ、たしかにそうですね。23歳でラグビーを始めても35歳までできた、という経験を自分の口で伝えることができますし、『自分の可能性を自分で狭めないでほしい」と伝えていきたいですね。そして何事も『これをやるぞ』と決めてからそれにしっかり没頭できればチャンスが舞い込んでくるはずです」

── 今の中高生はスマホやAIとも慣れ親しんでいる世代です。

「みんなスマホによる情報の収集や発信が得意だと思いますので、そういうことの利点を一緒に学びつつ、そういうテクノロジーとはまた別に人対人の授業を通して伝えられるものがあると思っています。人間関係のつくり方は学校以外ではなかなか学べないと思うので、僕自身も勉強をしながらそういうことを教えていきたいと思っています」

── ラグビー部のコーチとしてはどんなことを心掛けていきたいですか?

「トップオブトップの選手の本当にすごいところは、どんな状況でも基本を徹底できていることです。パスもスクラムも基本が本当に大事で、それができるかできないかで勝敗が決まります。僕もそういう指導をしていきたいですが、ベースの部分を徹底してつくり上げていく一方で、選手として高校で完成させるのではなく、伸び代を残した状態で次のステージへ送り出してあげたいと考えています。一人ひとりのストロングポイントがその後も伸びていくようなコーチングを目指します」

── 全国高校ラグビー「花園」は、高校時代にまだラグビーと出会っていなかった知念選手にとって未知の大会です。

「もちろん花園への出場は大事ですし、そこを目指してやっていくわけですが、それまでの過程でどれだけ自分が成長したか、という実感を持つことを大事にして選手たちを送り出したいという思いがあります」

── イーグルスのサポーターの皆さまも知念選手の今後を応援しくださるはずです。

「短い間でしたが僕はイーグルスに来られて本当に幸せだと感じています。皆さんの声援が僕たちの背中を押してくださり、素晴らしいサポートを日頃から感じていました。これからは僕もイーグルスのサポーターとしてみなさんと一緒に応援していきます」


選手から教師への転身、そしてラグビー名門校のコーチとして新たな人生を歩み始める知念雄。そんな異例中の異例のキャリアこそ、違う道へ飛び込んでもぶれずに邁進し続けてきた知念らしい生き方と言えるのかもしれない。

人間教育を通じて教え子たちの未来を照らそうとしている6月からの転身が、知念自身にとっても明るい未来になることを願ってやまない。

(インタビュー・文/齋藤龍太郎)

  • この記事をシェアする
  • Twitter
  • Facebook
  • LINE