「これから強くなると感じられるシーズンで終えられるのは誇り」
横浜キヤノンイーグルスで6シーズンの日々を送り、ケガなどで出場機会を得られない期間もチームを盛り立て続け、ポジティブな影響を与え続けたベテランLO/FL/NO.8 安井龍太が、現役生活にピリオドを打つ決断を下した。
コベルコ神戸スティーラーズ(移籍当時は神戸製鋼コベルコスティーラーズ)で8シーズン、イーグルスで6シーズン、日本代表2キャップという長く輝かしいキャリアのなかで、ここ3シーズンはイーグルスのノンメンバーチーム「ライザーズ」を主戦場にチーム全体の底上げを図っていた。
ライザーズでも、長きにわたるリハビリ中であっても、常にイーグルスへの熱い思いを変わらず持ち続けてきたチームマン。そんな彼が引退を決断した理由、もどかしさを抱えながら見てきたイーグルス像、そしてこれからの期待について話を聞いた。
(取材日/5月12日)
チームの良し悪しは"チームを思う気持ち"で決まってくる
── 今シーズンもお疲れ様でした。このたび引退を決断されたとうかがいました。
「たしかもう3年以上は公式戦に出場できていないので(最後の公式戦出場はリーグワン2022-23第11節の三菱重工相模原ダイナボアーズ戦)、いつ引退してもおかしくない状況でした。 それでもチームに残ってほしいと言っていただけて、毎シーズン最後という気持ちで臨んでいました。特に最後の3シーズンはいつ引退してもおかしくないと覚悟していたのですが、チームが求めてくださる限りはがんばってプレーしよう、とも決めていました。 昨年アキレス腱が2回切れて、1回目に切れたとき『さすがにもう引退かな』と思っていたらチームから『リハビリをがんばってほしい』と言っていただきました。それでも心の準備だけはいつもしていたつもりです」
── チームに残ってほしいと言われた際はどう感じたのでしょうか?
「ケガした直後にそういう話があったので『こんな状態の僕がまだやれるのかな』という複雑な心境でした。それでも『まだパフォーマンスを戻せる!』と言っていただけたことは本当に光栄でしたし、うれしい気持ちはありました」
── 今シーズンも公式戦の出場機会は残念ながらありませんでしたが、第14節の公式戦直前に行われた埼玉パナソニックワイルドナイツとの練習試合(○28-24)で実戦復帰されました。
「みんなが『安井の復帰戦だ!』と言ってくれて、僕も少しだけネタのように『俺のために勝ってくれ』などと言っていたのですが(笑)、みんなが本当に素晴らしいパフォーマンスをしてくれました。 特に順平(SO小倉順平)が僕のことを祭り上げてくれていたので感慨深かったですね。 約1年間ラグビーをやっておらず、相手もトップチームなので不安はありましたが、ライザーズの試合に出場してチーム全体を盛り上げることが僕の復帰に向けてのモチベーションだったので、勝ったことで報われた気がしました。 みんなのエネルギーも満ちていましたし、僕もここまでがんばって実戦復帰できて本当によかったと思っています。復帰自体が目標だったので試合中の記憶はあまりないのですが、気合いが入りすぎて最後の最後でイエローカードをもらったことはよく覚えています(笑)」
── 直後の公式戦は敗れてしまいましたが、練習試合の勝利はその後で熊谷ラグビー場に入ってきたメンバーを勇気づけたと聞きました。
「できればみんなに見てほしかったですし、もしメンバーが(試合結果を聞くだけでなく)見ていたらもっと感じてもらえるものがあったと思います。でも結果だけでもみんなが勇気づけることができていたとしたら、それはすごくうれしいことですね」
── イーグルスとしては苦しいシーズンとなりましたが、安井選手から見たチームの雰囲気はいかがでしたか?
「僕はずっとリハビリしながら客観的に見ていて『能力が高いチームだな』と感じていたのですが、実力が不足しているわけでもないのに勝てない時期が続いていました。 でも、シーズン終盤に僕も練習に参加させてもらったときにはみんなポジティブで雰囲気もよく、やるべきことを明確にして練習に取り組んでいたので『ここから勝つんだ』という強い意志を感じました。シーズンを通してラインアウトに苦戦していたので、ラインアウトリーダーの一人としてもどかしい思いはありましたが、公式戦のラインアウトを外から見て気づいたことがあればチームに伝えていました」
── そんなシーズンのなかで特に印象に残った公式戦はどの試合でしょうか?
「メンバーが揃い、50点を取った東芝ブレイブルーパス東京戦(第16節。○50-26)ですね。これぞイーグルス、という試合でした。チームに力があることを示せたのですごくうれしかったですし、自分たちのラグビーを体現してくれたのが誇らしかったです」
── 今シーズンはレオン・マクドナルド ヘッドコーチが新たに就任したシーズンでしたが、ご自身のリハビリや復帰もあったなかで、チームにどんな変化を感じていましたか?
「結果が出ないとネガティブに思われがちですが、これはもう沢木敬介前監督とのスタイルの違いだけです。 二人ともアプローチの仕方が違うだけで素晴らしいコーチなので、今のスタイルに順応するのに時間がかかったということだと思いますね。スタイルへの順応はもちろん、選手とコーチの意思疎通にもどうしても時間が必要です」
── その結果、シーズン終盤に先ほど挙げていただいたブレイブルーパス戦を含む3連勝を成し遂げました(第15節~第17節)。
「選手たちがすごくがんばって、コーチもゲームに対してどういうプランで臨むのかを明確にし、徹底的にそのプランに沿った練習をしたことで結果がついてきたと思います。急にメンバーが変わったわけでもなく、ケガ人が一気に戻ってきたわけでもありません。やはりコミュニケーションによって自分たちの強みが何だったのかを再確認したことが結果に表れたのだと思います」
── 今シーズン以外での、イーグルスで特に思い出深かった瞬間を教えてください。
「公式戦の話ではないのですが、自分のなかでひそかに誇りに思っているのが、プレシーズンマッチを除き、僕がライザーズとして試合に出ると1回も負けなかったことです。 つまり、シーズン中の練習試合で無敗、ということですね。 やはり、ライザーズにいる時間が長かったので『チームに貢献したい』という思いが強かったこともありますが、あらためてライザーズの存在は大きいと思っています。 ライザーズの試合が少ないシーズンもあったので、(出場機会に)飢えているメンバーもいましたが、みんな腐らずにがんばった結果、練習試合ではいいパフォーマンスを出していました。 それがこのチームのカルチャーであり、レベルの高いライバルたちがいることがこのチームの強みだと思います。 ライザーズの質が落ちると日々の練習の質まで落ちてしまうので、ライザーズはチームそのものの質を左右する存在とも言えます」
── 2022-23シーズンはチーム初のプレーオフトーナメント進出と史上最高位の3位という結果を手にしました。
「あのシーズンはチームが非常によくまとまっていました。ライザーズの視点から見てもチームの文化みたいなものがちょうどできた頃で、それが3位という結果につながったと思います。3位決定戦の前に行われたライザーズの最後の練習のときには、みんな泣いていました。プロ・社会人レベルでは珍しいことですが、それくらいチームに対しての強い思いがあったわけです。そういう選手が揃っているといい結果につながるんだな、とあらためて思いましたね。今はどのチームもほとんど実力差がないと思いますので、チームの良し悪しは"チームを思う気持ち"で決まってくるのではないか、と僕は考えています」
みんなが笑っているのを見るとうれしくなる
── ここまでイーグルスについてうかがいましたが、スティーラーズ時代の一番の思い出は何でしょうか?
「神戸では今よりも試合に出ていたのでいろいろなシーンを思い出すのですが、1年目の日本選手権(2013年の第50回大会)でブレイブルーパスに勝った準決勝は鮮明に覚えています(スティーラーズ31-29ブレイブルーパス)。決勝のサントリーサンゴリアス(現 東京サントリーサンゴリアス)戦でも出させていただいたのですが、決勝まで進めたこと自体が大きな経験になりましたし、この1年間でラグビーキャリアの土台がつくれたと思っています」
── 安井選手のベースはスティーラーズ時代に築かれたわけですね。
「8シーズンもお世話になりましたし、もちろん今でも好きなチームです。ラグビー選手として大きく育ててもらった8シーズンでした」
── 学生時代までさかのぼって真っ先に思い出すことはありますか?
「東海大学では、今ではあり得ない厳しい練習ばかりしていた気がしますが(笑)、やはり選手としてのベースを作ってもらった4年間だったと言えます。その前の東海大仰星(現 東海大大阪仰星)高校の3年間は試合の事前シミュレーションなどにより、頭でラグビーをする文化があったので、高校は頭、大学は体が鍛えられ、その両方の連係が僕のラグビー選手としての土台になったと思います」
── それがスティーラーズでの活躍にもつながったわけですね。
「入った当時はラグビーを何歳までやりたい、ということは考えておらず、最初の3年間はプロではなく社員選手でした。毎年、毎日、目の前のことをやっていて、その結果がイーグルスも含めた14シーズンのキャリアにつながった、という感覚ですね。最終的にこの年齢(36歳)まで現役を続けられたことは誇りです。周りの若い選手からは『現役でいるだけですごい』と思われているようですが(笑)、自分としてはそこまで年を取っている感覚はなく、オフシーズンも含めていつもフレッシュな気持ちで取り組んできた結果だと思います」
── イーグルスでも安井選手のように長くプレーしているベテラン選手が健在な一方で、若い選手の活躍も目立ってきました。
「やはり航生(FB 武藤航生)はすごいですね。練習で一回、航生にスパーンと抜かれたことがありました。 もちろん、活躍しているWTB/FB 石田吉平、SO 武藤ゆらぎなどBKに関してはいい若手が育ってきていますね。 試合に出ていないライザーズの選手でも、今シーズン(第11節で)公式戦デビューしたWTB/FB 猿田湧やWTB/FB 高木一成らは高いスタンダードを保っていました。 若い日本人選手の質が高く、イーグルスの未来は明るいなと思います。 FWに関しては、フロントローを中心にベテランがまだまだ元気なので引き続きがんばってほしいですが、一緒にプレーしてきたLO 久保克斗やアーリーエントリーのPR 栗崎和樹、LO/FL/NO.8 ゲリット・オクカースも能力が高いので、負けずに奮起してほしいです」
── WTB/FB 猿田湧選手のようにライザーズの選手が公式戦に出場するのは安井選手としてもうれしいですか?
「もちろんです。以前はCTB 田畑凌が同じような状況でした。何年も試合に出ていないなかで非常にがんばって練習していたので、チーム内のみんなは『いつ試合に出てもいいパフォーマンスが出せる』と思っていて、実際に出場のチャンスが来て勝利に貢献する姿が見られるとうれしいですし、同時に『僕もがんばらな』と思います」
── 若手が台頭してきたイーグルスの未来に期待を込めながらの引退となります。
「引退の決断については、仲のいい年の近い選手には少し話をしていましたが、若手にはあまりしていません。変に感傷的にならずにちょけて(ふざけて)いたいタイプですし、涙ぐましい雰囲気にされるのも嫌なので。何よりチームがいいムードの最中に、自分のことで水を差したくないです。自分のキャリアをわざわざ若手に聞かせることもありません。できれば人の話を聞いてあげたい方ですし、笑いながらしゃべれる関係性の方が僕としては理想的です。みんなが笑っているのを見るとうれしくなりますからね」
── 開幕6連敗などチームが苦しい時期も、チーム内に笑いが生まれるような工夫をされたのでしょうか?
「はい。今シーズンはミニチームゲームのリーダーに任命されて、1シーズン通して取り組んできました。担当コーチのフルさん(古川新一アシスタントコーチ)と一緒に毎週初めにどんなゲームをするか考えて、それがチーム内でどこまで機能したのかは僕にはわかりませんが、負けた次の週であってもあの瞬間だけはみんなで笑い合える、そんなゲームづくりを続けました。最初はずっと負け続けていたので『これ大丈夫かな。どうしよう』と思いながらも、フルさんと『こういうゲームならみんなが笑ってくれるかな』というものを必死に考えました。これはイマイチだったな、というミニチームゲームもあれば、うまくいったものもありました」
── 安井選手にとっては新たなチャレンジだったわけですね。
「はい。せっかくそういう役割をいただいたので、どうやったらみんなが楽しんでくれるかを必死に考え続けました。 いい経験になりましたし、フルさんと『1シーズンやり切った!これ、すごいデータ量やぞ』と達成感を味わいました。 フルさんは今シーズン、一番コミュニケーション取ったコーチです。ミニチームゲ―ムの打ち合わせだけでなく、僕の復帰戦になったワイルドナイツとの練習試合では、ライザーズの監督のような立場でコーチングしてくれました。 フルさんも今シーズン限りでチームを去りますが、兄貴みたいな大きい存在でしたね」
キツいことをやらないとダメなんだと思い知った日本代表
── ご両親やご家族に引退を伝えた際は、どんな言葉をかけられましたか?
「母親に言ったときは『お疲れ様』と言われました。親父は僕のことを褒めてくれないので直接は何も聞いていませんが(笑)、母親から僕のがんばりが自分のがんばりにつながったという話を聞いて、ラグビーをやっていてよかったなと思いました」
── 日本代表まで上り詰めた選手なのに、お父様は褒めてくださらなかったのですか?
「京都の人なので基本的に我が子を褒めることはなく、"自慢の息子"みたいなことも言いません。周りに対して『いやいや、うちの息子なんて......』という感じで謙遜するタイプですからね」
── その流れで、日本代表に選ばれたときの心境を振り返っていただけますか?
「初めて代表になったのは(社会人)2年目で、1年目から試合に出させていただいたことが認められての選出でした。ただ、とにかく練習がキツすぎて過密な日々だったので、記憶がほとんどありません。気がついたら代表合宿に呼ばれていた感覚です。とにかく無我夢中だったので、特別な思いがあったという感じではなかったですね。初キャップはUAE戦(2013年5月10日。HSBCアジア五カ国対抗 第4戦・ドバイ)で、砂漠のど真ん中のスタジアム(ザ・セブンズ)でのナイトゲームだったのを覚えています。後半から途中出場して『あ、ファーストキャップってこんな感じなんだ』と思った記憶があります」
── 2キャップ目は同じく2013年の7月、ウェールズ戦の第1戦でした。
「負けてしまった方の試合でした(日本18-22ウェールズ。第2戦は23-8で日本が初勝利)。勝った方の試合には出られなかったのですが、2週連続ウェールズ戦という素晴らしい舞台に立たせてもらえてすごくありがたい、という気持ちでしたね。ただ、ほぼ毎日神経をすり減らしていた日々ではありました。逆に言うと、あれくらいやらないと世界には勝てないということですね。だからこそ、2015年のラグビーワールドカップで南アフリカに勝てたのだと思います。キツいことをやらないとダメなんだ、という経験になりました」
── 安井選手が出場した第1戦の会場は東大阪市花園ラグビー場でしたね。京都のご家族も観戦にいらしたのでしょうか?
「はい。特にスティーラーズ時代は、神戸や花園での試合を見に来てくれました。京都から神戸まで1時間ぐらいで行けますからね。うちの母親は今シーズン2度目のスティーラーズ戦(第12節)も行ったそうです。僕は(メンバー外で)現地に行っていないのですが、母親にとってはどちらも思い入れのあるチームなので」
──お母様もご覧になっていたイーグルスで、選手としてのキャリアを終えることについてはどう感じていますか?
「正直なところ、こんなに長くイーグルスにいることになるとは思っていませんでしたが、6シーズンも在籍させていただいた大好きなチームです。今シーズンは10位という残念な結果でしたが、これから強くなることが感じられるシーズンでもあり、そんなチームで終えられることを誇りに思います。イーグルスは、10位で終わるようなチームではありません。チームの未来に対してワクワクできるという意味でも、いい形でキャリアを終えたと思います」
──最後に、イーグルスのサポーターの皆さまにメッセージをお願いします。
「僕が試合に出ていても出ていなくてもとても温かい声援を送ってくださったこと、本当に感謝しています。会場で『安井さん!』と声をかけていただいたり、手を振ってくださったり、熱心な方がたくさんいらっしゃって、僕としても励みになりました。そんな皆さんに支えていただいた6シーズンだったので、感謝の気持ちを伝えたいです」
結果的に引退試合となった埼玉パナソニックワイルドナイツ戦で、チームメイトとともに復帰を祝う勝利を挙げたことは、安井自身だけでなくチームにとっても一つの白星を超えた価値のあるものだったに違いない。安井のチーム愛、チームメイトの安井に対する愛が形になった瞬間でもあった。
これからもイーグルスへの愛情とともに第二のキャリアを歩んでいく安井龍太の、これからの幸運を祈っている。
(インタビュー・文/齋藤龍太郎)